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スケッチ「観劇日記『人魚の姫』」

同じ劇団に所属する先輩に招待されて、先輩が主役を務める舞台を観に行った。

きっかけは二週間ほど前、稽古が早く終わった日に先輩から声をかけられたことだった。なんでも、先輩は同期4人を誘って短編を演じようとしているらしい。『演目の中でダンスを踊るシーンがあるから、踊りを習っていたことがあるあなたにアドバイスをして欲しい』という話だったので、私は快諾した。そのときには既に音楽とよく合った振付が考えられていたので、舞台をもっと広く使うステップを少し提案したように覚えている。
協力してくれる仲間が増えて嬉しかったのか、話し合っている最中の先輩はいつもに増して楽しそうだった。先輩は普段の練習ではあまり我を出さないタイプだったので、きっとこれだけの企画を立ち上げたきっかけには大きな情熱があったんだと思う。時々どこか遠くを見て考え込んでいるときの表情は真剣そのもので、私にはむしろ変に深刻そうに見えてしまうほどだった。
劇場が閉まるギリギリまで調整を続けて、その日は解散になった。今度必ずチケットを送るから良ければ見に来てね、と言われた通り、三日後に封筒に入った招待券が一枚届いた。

あの日以降は劇団の稽古がほとんどなかったので、先輩と会うことはなかった。でも、時々劇場の裏口や隣のレストランのテラス席で先輩を見かけたりはした。
ある週末にサーカスを見に行った時にも、途中でテントの中に入ってくる先輩を見つけた。手品の演目をじっと見ている先輩を眺めて、そういえば先輩もちょっと前にトランプの手品にハマっていたな、と思い出したりした。

そうこうしているうちに、公演当日が来た。
演目は、アンデルセン童話「人魚の姫」をもとに群読やダンスを加えて脚色した、三十分ほどの短編。随分前にたまたま脚本集で読んだのがどうしても忘れられなくて、いつか自分でも演じてみたいと思い続けていた……という、先輩の思い出の一作らしい。

先輩は主人公である人魚の姫を演じ、他の4人で音響や照明、脇役などを交代しながら演じていく分担だった。舞台美術や衣装も質素で、群読される言葉の印象とあわせて強く想像力をかきたてられるような作りだった。こういう小規模な演目を見たのは結構ひさしぶり。

私が関わったダンスのシーンは、人魚の姫が足を手に入れ、憧れの王子と心を通わせる場面だった。身を寄せ合い、ワルツの音楽に乗せて軽やかにステップを踏む姫と王子。短い時間ながら、とてもロマンチックで二人の喜びがはっきりと伝わってくるシーンに仕上がっていた。

でも、一番驚いたのは、後半にあったもう一か所のダンスシーンだった。
こちらに関しては私は何も相談されていなかったし、私は脚本も読んでいなかったので、場面の存在自体をその場で初めて知った。
声を失いながらも、王子と一緒に幸せに暮らしていた人魚の姫。しかし王子は、幼馴染である隣国の姫と結婚することが決まっていた。いよいよ訪れた結婚式の日。幸せいっぱいの二人の前で披露される様々な祝いの芸のひとつとして、人魚の姫はひとり舞いはじめる……。
劇場は独特の緊張感に満たされていた。それまでの場面で、報われない恋に絶望する人魚の姫の心情が、様々な言葉と仕草とで、観客の心に刻みつけられていた。私ももう涙をこらえていた。そして、白い紗の布を手にした人魚の姫が舞台の中央に歩み出る。
はじめは、布の両端をそれぞれの手で持ち、一度目のダンスシーンと同じ振付で踊り始めた。踊っているのは彼女一人なのに、動きは王子と二人でいたときと同じ。動きだけでなく、ちょっとした目線や幸せそうな表情もあの時のまま。まるでパントマイムのように手指の先まで洗練された先輩の演技に見入ると同時に、手に持った布がゆらゆらとなびくのがすごく切なくて、目を逸らしたくなる。
やがて、音楽が劇的に転調したのを合図に、布から片手を離し、大きく掲げた。その瞬間、人魚の姫は完全に孤独になったのだと、私は感じた。報われなかった恋の悲しみを全身で歌い上げるかのように、手を伸ばし、布を翻し、天を仰ぐ。苦しげに眉をひそめたかと思えば、祈りを捧げるかのように柔らかく微笑む……。
もう目が離せなかった。先輩が、私の知っている先輩じゃなくなってしまったみたいだった。確かに考えてみれば、どちらかといえば台詞回しにこだわっていた先輩がここまで身体表現を見せてきたのは、私の知る限り初めてだった。でも、それはあとから思いついたこと。あの時の先輩は、人魚の姫だった。白く輝く布を纏って、今にも泡となって消えてしまいそうな、美しく哀しい姫君だった。

終演後、先輩に挨拶しようと思ってしばらくロビーで待っていたけど、これだけの演技をしたんだからきっと疲れてしまったのだろう、思ったより長い時間先輩は出てこなかった。ようやく姿を現した先輩は、清々しい笑顔で、見に来てくれてありがとう、としきりにお礼を言ってくれた。私はただ、すごかったです、としか言えなかった。

演劇は、役者が自分ではない誰かを演じることで、観客に色々な景色を見せる。今日の先輩は、人魚の姫を見せてくれた。でも、私の目の前に見えたのはそれだけじゃない気がする。何だったんだろう。分からないけれど、きっと今日のあの踊りを、あのこの世のものとは思えないような美しさを、私はずっと忘れられないと思う。



(この作品は過去作「スケッチ『ひと組のトランプ』」との繋がりを想定して書かれました。併せてお読みいただけると幸いです。)

(カバー画像は、前述の作品と合わせてディズニーシーの風景。)

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