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困ったことが起きました。
仕事でお世話になっている方から先ほど、とあるHPに載せるための「プロフィール」の提出を求められたのだけれど、私には肩書きというものがない事に気づいたのです。

その方も私の困惑を予想していたのでしょう、私の肩書きの(案)として、親切に「元中学校教員(英語)」という”例文”を記載してくださっていたんだけど…
”元”って肩書きじゃないよね(笑)

「元中学校教員(英語)」という情報は、どちらかというと経歴欄に、ちょこんと申し訳程度に書き加えられるべき文言であって、肩書きではない。
恐らく、その例文を充ててくださった方も、わたなべさやこを形用する肩書きが思い当たらなくて、でも何も記載しないのも失礼だし…という親切心で”元中学校教員(英語)”という、私がかつて仰せつかった社会的責任の中でも、(小さな人間なりに)もっとも大きかったであろうものを添えて下さったのだと思います。

私のように自由気ままにナリワイに従事している皆さんは、肩書きの表明を求められた際にはどうなさっているのか。

私は自分の学歴とか職歴とか社会的地位のアピールにまったく関心が無いし、そもそもアピールできるようなネタがないし、個人的には肩書き不要ではあるのだけれど、さすがにインターネット上で「地域のお節介おばさん」とか「しがない主婦」なんていい加減なことを書くわけにはいかないので、ここらへんで、何か都合がよく、かつウソ誇張の無い肩書きを作っておこうと考えるに至りました。

以前とても面白いことをおっしゃっている人がいて。
その方は今は有名な詩人さんなんですけれども、まだ詩を始めたばかりの頃から自らを「詩人」と名乗っていたそうです。
そのきっかけが、なんだかその詩人さんらしくてすごくいいなと思うのですが、知人に「名乗っちゃえばいいんだよ。詩人って言っちゃえばいいんだよ」と言われて「あぁ、そうか」と納得したそうです(あってる?ご本人様、訂正がありましたらご指摘下さい)。

何が「いいなぁ」と思ったかと言うと、「今何を成し遂げたか」ということも肩書きの示すところだとは思うんですけれど、それ以前に「自分がどうありたいか、今後をどう生きていきたいか」という姿勢への着目があってこその”決意”だったんじゃないかなと思うんです。ささやかな決意。

私も、これからの肩書きについて少し考えてみたいと思います。


※画像はgobogoboさんの作品をお借りしました。


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