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「ポーの一族」という叙事詩~永遠に生きるということ

昨晩から数十年ぶりに「ポーの一族」を読んでいる。わたしが所有している愛蔵版の漫画は「ポーの一族」(萩尾望都)と「ワイルド7」(望月三起也)だけだが、今は愛蔵版の2巻まできたところだ。実は数年前に物語が再開されてからの本も持っているのだがまだ読んでいない。それに手をつける前に1970年代の神作をもう一度読み返したかったからだ。



ポーの一族は1970年代に「トーマの心臓」とともに萩尾望都の体表作として一斉を風靡した名作中の名作。「エディス」という話の悲劇的な結末で幕を閉じたのだが、2016年に「春の夢」で再開された。

ポーの一族は、いわゆるヴァンパイア(吸血鬼)の物語でエドガーという不老不死の少年を取り巻く様々な事件(ヴァンパイアだったり人間だったり)を描くファンタジーである。しかし、昨今の魔法や剣が飛び交うファンタジーではなく、ヨーロッパを舞台に極めて文学的に彼らの苦悩を描いており、ゲーテやヘッセ等、西欧古典文学を読んでいるのと同じ感覚に浸ることができる。
ポーの一族におけるヴァンパイアは、決して邪悪ではないし強くもない。不老不死なだけで、超人的な身体能力を備えていたり、蝙蝠に変身したり、銃弾食らっても兵器で人間を食いちぎるような今よくある吸血鬼像とは全く違う。杭や銃で急所をやられたら簡単に消し飛ぶし、馬車に惹かれても死ぬ。生きていくうえで人間の血は必要だが薔薇のエキスでしのいでいてみさかいなく人を襲ったりはしない。配慮を怠ると鏡に映らないし、脈もないし、少年だといつまで経っても歳をとらないのを怪しむ人が出てきて人間にやられてしまうため、同じ場所に長くは住まず旅を続ける。つまり人間より強いどころか弱いとさえ思えてしまう繊細な存在である。

不老不死であり永遠に歳をとらず美しい

本作におけるヴァンパイアはそういう存在だ。
だがこれが果たして幸せだろうか。永遠に時を生きるということはとても孤独で辛いことではないだろうか。と萩尾望都は問いかけている気がする。

また物語のエピソードは時系列に並んでいない。そのため、登場人物を正確に把握するには年表なりメモなりが必要になる。このあたりは、検索をかければいくらでも出てくるだろう。
それくらい壮大な叙事詩だ。
「ポーの一族」は漫画だけれども文学だと思うのはわたしだけではないだろう。

さて今日も続きを読んで、早く最新の物語に追いつきたいね!



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