大嫌いな不幸自慢と注意しない大人たち
病院へ行くと必ずといっていいほど不幸自慢に遭遇します。
待合室で長時間待っていると、聞こえてくる会話。
「この間○○を切ったんや」
「わたしなんか○○切ったことあるで、大変やったわ」
高齢者の女性に多いように思いますが、年齢は問いません。
生理検査室の前で他の患者が多数いるにも関わらず、癌だったり脳腫瘍だったり病名すら隠さず痛かっただの、治らなかっただの、あの先生はだめだ、何年かかった等々、大声で会話する光景を何度みたことか。自分のほうが不幸だと言いたいのでしょうが時と場所をわきまえない暴言、いや暴力に近いとわたしは思います。
検査室の前や診察室の前でそのような会話をすれば、まだ診断が未確定でハラハラしながら待っている患者がどのような思いをするか想像だにしないのでしょう。デリカシーのかけらもありません。
知らぬ顔を決め込む周囲の人間も知らん顔でどうかと思います。
わたしはあまりにひどいときニ度ほど注意したことがあります。もちろん「おどれら、だまらんかい」などと言いませんよ笑。丁寧に「静かにして頂けませんか」と言いました。ニ回とも以後静かにしてくれましたが、変なやつだとつっかかってくるかもしれませんねえ。だけど、そういうことは誰かが注意しないとけないと思うんです。
犬の散歩禁止の公園で平然と犬を散歩させている中年女性がいたときも、注意したことがあります。さぞかしうるさい親父だなと思ったことでしょう。
もう少し若く元気だった頃は電車の中でがに股で座ってニ席分占領してスマホいじっている学生に注意したこともあるし、大きな音量でイアフォンから音漏れしている若者に「うるさい」と注意したこともあります。
嫌な親父かもしれませんが、こういうことは当然のことじゃないですかね?報復を恐れて言わないのか、めんどくさいから言わないのか、わかりませんが、社会的倫理やルールに反した行為を大人が注意することは大事なことだと思います。
病院で思い出しましたが、勇気をもらった青年に昔会いました。
わたしが腰の手術で2週間入院しているとき同じ部屋だった若者。
バイク事故で片足が切断されていたのですが、毎日ノートPCで仕事をしていて、当時同じくバイクに乗っていたわたしは色々と話しているうちにかれはきっぱり言いました。「リハビリがんばってまた乗りますよ」実に爽やかに鮮やかに言いました。あのときは何かこう世界に光がさすというか視界が一気に拓けた気がしました。
そういう勇気ある若者も世の中にはいるのです。
不幸自慢する最低な連中もいますがね笑
お、今日は多弁だ。
それではまた!