短編小説「才媛」(その2)

 
 再び会ったのがベルギーだった。パリの出会いから二年後だ。状況的にはパリと同じである。わたしは東京から彼女はロンドンから出張して任務を遂行する。違う点があるとすれば、彼女は相変わらず責任者として派遣されていたが、わたしのほうはパリでは一兵卒だったのがベルギーでは出世して責任者という立場だったことくらいだ。彼女は相変わらずで、子供っぽい可愛さと冷静沈着な強さが同居した不思議な魅力があった。わたしは彼女に再会できたことが心底嬉しかったし、今回は二ヶ月におよぶ長期にわたってともに仕事をする予定だったので毎日が楽しかった。ただ、彼女が人妻であることには変わりがなかった。夫のイギリス人との折り合いが悪いという噂は聞いていたが、噂を鵜呑みにして安易に動くわけにもいかない。
 そんな二人がある日珍しく仕事で言い争った。わたしも経験を積んで自分の仕事に自信を持っていたので、お互いに一歩も譲らぬ言い合いになった。パリでの上司と彼女のようなものだ。そのときに彼女が顔を真っ赤にして叫んだ。「わたし嫌われているものね!」わたしは即座に言った。「嫌いなわけないだろ!むしろその逆だよ!」一瞬の沈黙。彼女がびっくりしたような目でわたしを見る。そばにいた彼女の同僚はニヤニヤしながら様子を見ている。わたしはバツが悪そうに無言のまま仕事を続けた。しばらく呆然としていた彼女も我に返って仕事を続ける。二人共しばらく無言のままだった。

 数日して、仕事が一段落し、関係者全員で打ち上げパーティを行うことになった。ブリュッセルの繁華街では有名なバーで、ダンサブルな音楽がフロアを満たし、赤紫の薄暗い照明が回転するなか、肌を露出させた踊り子やホステスが手厚いサービスをしてくれる店だった。わたしたち出張組も現地の駐在組も高級なシャンパンやワインを浴びるほど飲んで踊り子のダンスやダーツなどの遊びを堪能したが、もともと乱痴気騒ぎがあまり好きではないわたしは深まる酩酊感とは逆に気持ちは次第に醒めていった。もう午前零時を過ぎている。明日はまた六時起きで仕事だ。この人たちはいつまで騒ぎ続けるつもりだろう。
 彼女は照明が回転するフロアの中心で駐在員たちと楽しそうに踊っている。彼女にとってわたしたちは「お客様」だから調子をあわせているのか、本気で楽しんでいるのか、彼女のほんのり赤く染まった横顔をからはわからなかった。ただ、わたしはあの場所に混じるつもりはない。そういう騒ぎ方は苦手だ。先に帰ろう。
「すみません、ちょっと飲み過ぎたみたいでお先に失礼します」
わたしはご機嫌なベルギー駐在組のひとたちに申し訳なさそうに声をかけると店の出口に向かった。彼女を一瞥すると目が合った。笑顔を保ってはいるが寂しげな目に見えた。わたしは彼女に軽く手を振るとそのまま店を出た。
深夜のブリュッセルは真冬のように冷えきっていて、雲一つ無い夜空には満天の星と三日月がくっきり浮かんでいた。

 ホテルの自分の部屋に戻り、シャワーを浴びてパジャマに着替えたところで電話がなった。受話器をとると彼女だった。「今から行っていい?」心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。同時にかすかなためらいが生じた。同じホテルに宿泊している若い女性がこの時間に男性の部屋に来るということの意味がわからないほどわたしは子供ではない。

(続)


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