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なんでも出来るはあくまでも過信であり、その魔力にやられていてはならない。
iPadでマクドナルドでこのnoteを書いています。noteアプリはiPadにも対応していて使いやすい印象です。
今週も日課のようにnoteを書き綴っていきたいと思います。
以下二つの記事を書いてきました。
引き続き、40代後半のキャリアを考えていきたいと思います。
あ、それ自分にも出来るし、もっと早くクオリティの高いものができる
あくまでも過信ではあるのですが。
今日とある、近所の店にスタバがオープンするという記事を見かけました。
その情報はもっと早く知っていたし、何ならやろうと思えば記事化も含めてそのサイトの記事より早くできるということもわかっています。
今日は珍しくスタバ。
— 脇村 隆(wackey) (@wackey) January 7, 2022
そういえば地元駅前にスタバができるらしい。 pic.twitter.com/YBAcFXlEOB
ツイートもしていたように、その記事よりも何日も早く知っていました。
その記事よりも詳細に、情報をまとめることもできたでしょう。
だけども動いていないのです。
動けていないということは出来なかったという結果と同じです。
自分にも出来ると思っていたことは、結果を伴わなければ、できないという烙印を押されたのと同じです。それを「もっと早くクオリティが高いものができる」というのは思い上がりでしかありません。
それに対して何も動けず、こうやってマクドナルドでiPadのキーボードを叩いているのは仕事をしているフリにしかなっていないのです。
思っていても動けていない、というのが一つの答えではないか。
といった事例をもとに書いていますが、世の中、「自分ならもっとうまくできる」「自分ならもっと早くできる」と評論家タイプのようなっている人も少なくないと思います。
よもや、40代後半以降になるとこういうタイプの人が増えてくる気もしています。それを老害というのかもしれませんが。
一方、仕事が無いという現状でこの状態は危険すぎます。
何か言っているように見えて、何も生み出していないのです。その思い込みは評論家になって、何もしていないという魔力にやられていたのでした。
「動く」というのが一つのキーワードではないかと思います。
「思う」だけでなく「動く」ということを意識してみたいと思います。
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