猫が可愛いということは
私が生きる意味である。
猫が可愛いということは、
素晴らしいことである。
猫と共に生活を始めてほぼ20年。
学校が嫌いだった小学生。
親に無理やり登校させられる朝。
服を着替えるクローゼットの前で猫がすりっと腕に自分の匂いをなすり付ける迷い猫。
可愛い、頑張ろう。
中学、テスト勉強中。
両親は自営業でほぼ家にいない。
お兄ちゃんは友達と遊びにいっている。
自分はずっと机の上で勉強。
テキストとノート、奥には猫の開き、
憂鬱なテスト勉強に付き合ってくれる三毛猫。
可愛い、頑張ろう。
クラスに馴染めずに偽りの自分を作り出して毎日がしんどい高校生。
自分のアイデンティティはすべて隠して、他人の都合のいいような人格をつくりだして、人と距離をできるだけとって親しい友達は作らない。
家に帰ると、しにかけて倒れていた生まれて1ヶ月の子猫にミルクをあげる。
生きるって奇跡なんだなって思い知る。
可愛い、頑張ろう。
仕事で思うように成果がでない。
全然知らない人に馬鹿にされる。
え?それって意味ありますか?むしろ自分を下げるようなことでは?何年間の努力も知らずに目の前のことをただただ評価する。
自分のやってる努力とは、身を削るとは。
ヘトヘトで家に帰って待ってるのは、
一歳になろうとする無邪気な子猫。
可愛い、頑張ろう。
どんだけ理不尽で、社会がしんどくてもずっとそこには猫がいて、何も知らない顔して毛繕い。
猫が可愛いってだけで生かされる魂が少なくともひとつはある。
神様はわたしに猫を常に授けてくれた。
それで十分なだけ救われている。
なんですか?と恩を着せない猫の自由さ、
勝手に救われてくれよっておやつをねだって、
今日も君たちの幸せをただ願う。
猫、可愛い、頑張ろう。
鈴木Mob.