#07 「希釈。」

わたくしWabokuは、改めて言うまでもないが「アニメーション作家」という肩書で仕事をさせてもらっている。
その職歴が今年ついに5年を数え、アニメーション制作を始めてから10年という節目を迎えることとなった。

大変喜ばしいことだと思う。
職業としてそもそも確立されていないも同然のアニメーション作家というジャンルで、こうして仕事を頂き、その仕事が次の仕事を呼び、
最近ではスタジオさんと協力してより大きなプロジェクトに参加することが出来ている。

....なのだが、(自分で言うのもおこがましいが)その輝かしい成長に反して、
最近のWabokuは漠然とだが危うい気配も感じている。



いや、最近ではない
2019年頃からその感覚はすでにあったのだ。


当時は私もMV制作を始めて間もなく、競合他作家もさほど多くないアニメーションMV黎明期にあった。
そもそも単独でアニメーションを制作できるクリエイターの数が少なく、
作家が複数のアーティストのMVを担当するという構図も珍しくなかった。

私ことWabokuも例に漏れずといった状態であり、ゆえに回す案件の数も毎年増えていく傾向にあった。




一件終わればまた一件。間髪入れずに続く案件ループを続けていたある日、気付いてしまったのだ。


アイデアが減ってきている。

インプット、引き出し、個性、世界観... 言い換えればそういうものだと思う。それが減ってきていると。
澱を吐き出す日々を続けた結果、だんだんと自分の中に濃縮して溜まっていたものが薄まっていた

あくまで主観の話だが、世に送り出した作品たちを見返したとき
「これ、ほんとに面白く出来たのか?」
と思うことが増えた。
その都度、後悔と反省の念に襲われる。
(いまだに2年前の仕事とか寝る前に思い出して引きずる)



自分はいま、薄めたコーヒーになっている。
死ぬほどまずくはない。これがコーヒーだと思う人にとってはそれでいいかもしれない。
どうしてもというなら、淹れたあとにフレッシュや砂糖でこじつけ誤魔化すのもいいだろう。

でも本質は?
後付けで添加したとて、濃度が上がるわけではないのだ。
薄いものは薄いまま。
そして、それに気付かないままどんどん薄くなっていくコーヒーに慣れて
満足してしまうことが危ないと感じるのだ。

どうにかしなければ。
喜びでも怒りでもなんでも、とにかく自分を薄めてしまわないように
そう思いつつ、何かを変える努力もしていないのだからどうしようもないやつだ。
何かが、あるいは誰かが求め、与えてくれることをただ待っているのだろう
(池の鯉のように滑稽で笑えてしまう)





近頃はそういう事を考えるのだ。歳を取ったからだろうか。
で、結局それを成すには、
否、世の中におけるたいていの「やりたいこと」を成すには結局お金に頼るのが手っ取り早いぞと。
そう考えて仕事に打ち込むわけである。
(夢がないけど。)



「ああなんか、いいこと起きたらいいのにな~」


Twitterだったらこう呟いておしまい
そんな今日の記事。


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