関西を出ます

お世話になっております。

あす関西を出て関東へ引っ越します。

永遠に終わらないかと思われた荷造りも8割5分ほど進捗しました。あとはいま干してある洗濯物を詰め食器をくるみ、周波数の違いでもう使えない電子レンジを人にあげて、部屋全体の掃除をしたら終わりです。残り1割5分が果てしなく感じてきました。頑張ります。

関西には11才から25年住んでいました。四半世紀です。驚いています。それだけ長く住みましたが、いまだに関西の人には苦手意識があります。これには大きな理由が二つあります。まず私の両親が二人とも兵庫県出身で、関東に住んでいた時は二人とも標準語でしゃべっていたのですが、私に説教するときだけ関西弁を使用していたからです。そのせいか関西弁で話しかけられると(特に自分より年上の女性に関西弁で話しかけられると)怒られているように感じます。もうひとつが、自分が関西弁をうまく話せないことです。関西の人は関西弁のイントネーションに厳しく、少しでも違うと話を聞いてくれない、もしくは陰で悪口を言われるというおそらく間違った印象をどこかで抱いてしまい、だいぶ心を許した人にしか関西弁で話せなくなりました。コントをぜんぶ標準語でやっているのも同じ理由です。

小、中、高と兵庫県の田舎町で過ごし、大学進学を機に大阪で一人暮らしを始めました。大阪は輪をかけて強烈でした。向こうからいきなり話しかけてくる一般人というものが当たり前のように存在している町。道端で寝ている人がそこまで珍しくない町。ミサイルのように自転車が突っ込んでくる町。こういった町に対しての苦言を呈すると何故かみんな嬉しそうにする町。人も多ければ謎も多い町で、大学を卒業してそのまま就職しました。大阪での仕事は大変でした。ずっと大変でした。周囲の人はみんな怒っているように感じたし、実際怒られてもいました。関西を出たいという気持ちは日増しに強くなっていきました。いろいろな知人に「関西向いてない」と愚痴をこぼしはじめたのもこのタイミングです。みんな何を言っているんだという顔をしていました。それはそうでしょう。いつまでも関西にいるのですから。

それでも関西に住んでいて良かったと思うのは、いい出会いもたくさんあったからです。まず、お笑いを始められたのは関西にいたからだと思います。私は中学校の生徒会演劇で笑いをとり、高校の演劇部で笑いをとり、クラスメイトと漫才を初めて笑いをとったことがあります。特にクラスメイトとの漫才に関しては完全に自発的に始め、いきなり教室で上演したにもかかわらず何故か好評で大いに調子に乗りました。これが関東だったら(20年前の関東だったら)いきなり漫才みたいなことしはじめるヤバい奴で終わっていたと思います。大学の落研では面白いことを真剣に考えている人に出会えたし、社会人になっても落語をできる環境があったし、会社でも落語をやっていることは大いに推奨されました。お笑いを趣味として活動している、という状態は20年前の関東では(なんなら今でも)考えられなかったと思います。お笑いに寛容な地域で調子に乗り続けた結果、R-1グランプリ2024で決勝まで進出できました。この点、関西の方々に本当に感謝しています。

変わった楽しい場所の敷居が低かったのも関西、とくに大阪の良いところでした。味園ビルもBar舞台袖もMagayuraもロフトプラスワンウエストも、京阪神の通い詰めたライブハウスも、行くまでめちゃくちゃ怖かったものの行ってみたらとても居心地のよい場所でした。それはもちろん、長年かけて積み上げてきた場の空気と裏で尽力してくださる沢山の方々のおかげで、その点においても関西には感謝しています。ふつうに生活していたら遭遇できないものを、考えてみればとてもお手頃な価格でたくさん観ることができました。糧にしていきたいです。

あと、なんだかんだご飯が安くておいしかったです。小学生のときに初めて関西でラーメン屋に入り、提供されるスピードの速さに驚愕した記憶があります。神座も天下一品もラーメン横綱も551もぜんぶ美味しかったし、ライフは品揃えとお惣菜のバリエーションが豊富でした。関東でやっていけるのか不安です。ぼちぼち良い店とスーパーを探していきます。

なんだか決別のために書いている文章のようですが、ぜんぜん大阪には不定期で戻ってくるつもりでいます。せっかくこちらで関わらせていただいたコミュニティは大切にしたいです。大阪でのライブやお仕事があればぜひお声かけください。

とはいえ、いったんは、関西を出ます。拠点を関東に移します。いまのところ楽しみでしかありません。やたらはしゃいで不安から目を背けているだけかもしれません。関東でやることはありがたいことにたくさんあります。転居手続き、インフラとネット環境の整備、免許証の住所変更、ライブの出演、文章のおしごと、転職活動、CD屋巡り、ライブハウス探訪などです。どうせ良さに気づくまでにまた四半世紀かかるでしょうから、腰を据えてじっくり暮らしていきたいと思っています。その際に、関西での暮らしを思い出しながら、いろいろと試していきたいです。

関西でお会いした皆様、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

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