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他人の手料理が食べれない大人

他人の手料理が食べれない大人

 最近、付き合いの中で、人に作ってもらった料理を食べる機会がとても多くなりました。本来であれば、それはとても有難いことなんですが、実は僕はこれが大の苦手なんです。というのも、僕は人に作ってもらった料理を食べることがとても苦手なんです。そんな人、僕以外にもいませんか…?

「食べることができない?」を具体的に

 僕がここで食べることができないと言っているのは、「完食」というのを指しているわけではなく、「料理を口に運び、咀嚼をして飲み込む」までを指しているということを先に限定しておきます。完食するどころか、一口も食べられないことがあるんです。特に、煮物。他人の手が込んでいれば込んでいるほど食べられません。後は卵焼きみたいに家庭ごとに味が違うようなものも食べられません。本当に失礼な話ですよね。人がせっせと作ってくれたものを、口もつけずに食べれないって言うなんて。僕も絶対におかしいことだと思っているんですけど、自分じゃ自制が効かないんです。

他人の手料理

 僕の中で、食べることができる/食べることができないという二つの境界線はとても曖昧だと思います。例えば、両親の手料理は食べれます。姉の料理は微妙、たまに食べれないなと思うものがある。祖母の手料理は食べれる。親戚の手料理は、姉と同様、食べれないと思うときがある。ここまでを見ると、自分の身近な人かどうかによって、食べれる/食べれないを左右しているようにも思えます。ですが、姉の手料理でも食べれないと感じるということは、正解はそうではないような気がします。
 もっと他の例を挙げてみます。友達や彼女の手料理は食べることができます。ただ、それは本当に一握りの気を許せる友達で、大概の友達の手料理は食べれません。友達のお母さんとなると、絶対に無理です。友達の奥さんや上司の奥さんであってもどうかな…今後、友人や上司のお宅に呼ばれて手料理を…ということもきっと増えてくると思いますが、いくら関わりが深くとも、いくら敬意を表する相手であっても、食事をいただくことはないかと思います。幸か不幸か、僕はお酒が飲める方なので、多めにお酒をいただいてお腹を満たしてしまう、ということも有り得るかもしれません。ただ、それは本当に無礼ですので考えものです。
 他の例だと、コンビニやファストフード店であれば大丈夫ですが、料亭やご飯屋さんとなると話は変わってきます。どれだけ一流の料亭だったとしても食べれない可能性があります。一度、目上の方にとても美味しいと評判の料亭に連れて行っていただいたのですが、どうしても食べれなかったお料理がありました。
 と、例を出すとより分からなくなりました。どうもそれは、自分との親しさという基準では測れないようです。より曖昧になってきてしまいました。

ネット上では…

 僕のような人はそれなりにいるみたいです。どうして他人の手料理が食べられないかに対して、ネット上では

「潔癖症」「マザコンの現れ」

なんて言われているものが散見されました。僕に限定して考えると、本が床に積まれている時点で潔癖とは言えないですし、母を敬ってはいますが、所謂「マザコン」とは違う気がします。余所様の衛生状況に関して疑念を抱き続けているというのも違います。

きっかけ

 決定的なきっかけではないですけど、今考えている中でこれがトラウマになっているのではないか、と思うことがあります。

 昔、まだ小学校の低学年だった頃の話だと思うんですが、友達のお母さんに卵焼きをいただいたことがありました。僕の実家では、卵焼きは砂糖が多めの甘い味がするんです。でも、その卵焼きは塩味が強いもので。家で食べる卵焼きとは全然味が違いました。
 とても衝撃的だったんです。味が違うだけでこんなにも食べれなくなるのか、と。ですが折角いただいたものを飲み込まずに吐き出すのは良くないと思って、当時の僕は頑張って食べようとしました。そして…見事、胃の中のものまで全てを吐き出してしまった。

 これがどうしてもフラッシュバックします。元々、偏食的だったので余計に苦手なものが多く、これを無理に食べ切ろうとして、またあの時みたいに吐いてしまったらどうしよう、と思ってしまいます。
 後は、小学校のときに誰もが好きだったカレーライスが嫌いでした。小学校のカレーライスは、児童の栄養を考えてルゥを手作りしてくださるんですよね。それを知らなかった頃は、偏食の僕でも好きでした。でも、ある日、メニュー表の材料内訳似たいなやつを見たときに、

【カレー ルゥ:~、ウスターソース、ケチャップ、~】

と書いてあった。僕は、味の想像ができなくなったんです。味の想像ができるということは、この料理はきっと美味しいな(自分の苦手な味や臭い、見た目ではないな)と感じることであり、つまりは、予めの情報からその料理の味を保証することでもあったんだと思います。あの茶色のドロドロした液体は、ウスターソースとケチャップが大量に入っているおぞましい食べ物なのか…?と考えるようになり、しまいには給食のおばちゃんが魔女に見えてしまう始末。
 こうして僕は他人の手料理が食べられなくなりました。

暫定的な結論

 僕が他人の料理を食べることができないのは、味の保証ができないからということになりました。その中で、作り手との人間関係によって、それが和らぐこともある、ということでしょうか。料理ごとの差異なんかについても考えたいので、現時点ではまだ答えは出ていませんが。
 こうやって言ってしまうと、偏食の食わず嫌いの自己都合のように聞こえてしまいますが、そうではないはずなんです。自分でもよく分かりませんが、本当に食べることができないって思ってしまうんです。
 そして何より、僕自身、これを止めたい、なんでも食べることができるようになりたいです。共感してくださる人、少しずつ直しているよ、なんて言う先人がおられましたら、コメントにて教えていただけると嬉しいです。


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