津田梅子 社会人二年目
皆様、お疲れ様です。今日お仕事だった方、すんごくお疲れ様です。
前回の記事では新札渋沢栄一さんについて記事を書かせていただきました。
僕自身も渋沢栄一さんについてまったく無知だったが、noteをきっかけに学べましたのでよかったです( 一一)
2024年に新札1万円、5000円、1000円の紙幣(日本銀行券)として発行される5000円の顔「日本女性の教育の礎」と呼ばれる津田梅子についてお話をさせて頂きます( 一一)
・津田梅子って誰ですか?
・出身地:・出身地:武蔵国血洗島(現在の埼玉県深谷市)
・生年月日:1864年12月31日
・死亡年月日:1929年8月16日(64歳)
わずか6歳で、岩倉遣欧使節とともにアメリカへ留学しました。
17歳の時に帰国命令がでましたが、延長して勉強を続けたが
その後帰国し、再度24歳の時に留学しました( 一一)
そして、この留学で自分がすべきことを見つけ、女子教育を広めることに決めたのです。
・なぜ今頃になって選ばれたの?
津田梅子さんは日本の女子高等教育の草分け的な存在です( 一一)
明治33年に女子英学塾(現剤の津田塾大)を創設しました。
生涯にわたり、女子教育に尽力された功績が評価されたのですね( 一一)
・偉業と貢献
1・女子教育を広める
6歳で、岩倉遣欧使節とともにアメリカへ留学しました。
17歳の時に帰国命令がでましたが、延長して勉強を続けこの留学で自分がすべきことを見つけ、女子教育を広めることに決める。
2・「女子英学塾」を設立
帰国後は、女学校に務めながら女子教育の支援を積極的に行い、「女子英学塾」を設立し、「身分にとらわれない女子教育」を実現すべく邁進していきます。
3・キリスト教女子青年会の初代会長
少人数教育、教師の資格と熱意、学生の研究心を重視し、英語教育とキリスト教による人格教育を実践していきます。
1905年には、キリスト教女子青年会の初代会長にもなっています。
とまあ、すんごい人なんだなと言うことがおわかりいただけただろうか。
5,000円札の代名詞としてはやはり樋口一葉さんかなと思いますが、今後はこの津田梅子さんが主流となっていくんだろなあ( 一一)
では皆さん、明日のためにゆっくりお休みください。ばい