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地味だけど贅沢に生きる

地味と贅沢。
相反するようだが、そうでもない。

贅沢とは何か

『暇と退屈の倫理学』の著者、哲学者の國分功一郎氏は雑誌のインタビューの中で、贅沢について語った。中でも焼き魚の話が興味深い。

最近だと、庭の七輪で火をおこして魚を焼いて食べるのが最高ですね。
~中略~ サンマ焼くの楽しいです。難しいんですよ、すごく。デモクラティックな感じもしますが、自分の好みで魚を焼いて食べるという特権階級意識みたいなものもある(笑)。これほどうまいサンマは絶対誰も食べていないぞ、って。

GQ JAPANメールマガジン(2015年6月1日)より

なるほど。
時間をかけて、美味しいものを調理することも贅沢か。

和食は贅沢

最近、我が家では和食がブームである。朝から魚を焼いて、ごはんを食べる。それだけで心が落ち着く。
魚を買ってくるのに時間がかかるし、焼くのにも時間がかかるし、食べるのにも時間がかかる。時間はかかるが心は落ち着く。

目の前に、魚がまるごと一尾。何てことのない丸干しのいわしである。本体価格は六尾で180円。一尾あたり、たったの30円也。
とはいえ、頭のてっぺんから尾びれの先まで命である。贅沢の極みだ。
「いただきます。」と言葉を発するとともに、自然と手を合わせてしまう。気がつくと頭も少し下げている。瞼も軽く閉じたりして。

洋食は手軽

以前は、毎朝ミューズリーを食べていた。ヨーグルトを下地にして、袋に入ったミューズリーを振りかける。
そこにブルーベリーやらプルーンやらをトッピング。甘さに誘われ、バナナも欠かさなかった。気分はホテルライクな朝食だった。
「いただきます。」と声には出していたけれど、手や頭、瞼までは動かなかった。
これはパンでも同じ。命というより、むしろお菓子に近い。

地味に贅沢

和食中心の食生活に変わり、気になるようになったのが、魚と野菜。特に魚はスーパーの鮮魚コーナーをのぞくのが、趣味になった。美味しそうな真いわしでも見つけようものなら「ギョギョッ」と口をついて出そうである。
鮮魚コーナーで包丁を握るお兄ちゃんとも、少しだけ会話ができるようになった。目利きとまではいかないが、少しずつ魚のこともわかってきた。
これもまた贅沢だ。そろそろ鰹も終わり、秋刀魚の季節到来である。
七輪で秋刀魚か。いいなあ、七輪。
とはいえ、置き場所、取り扱い、使用頻度・・・。悩むよなあ。

老い先短い人生。
贅沢を楽しむために買ってみるか。

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