地味だけど贅沢に生きる
地味と贅沢。
相反するようだが、そうでもない。
贅沢とは何か
『暇と退屈の倫理学』の著者、哲学者の國分功一郎氏は雑誌のインタビューの中で、贅沢について語った。中でも焼き魚の話が興味深い。
なるほど。
時間をかけて、美味しいものを調理することも贅沢か。
和食は贅沢
最近、我が家では和食がブームである。朝から魚を焼いて、ごはんを食べる。それだけで心が落ち着く。
魚を買ってくるのに時間がかかるし、焼くのにも時間がかかるし、食べるのにも時間がかかる。時間はかかるが心は落ち着く。
目の前に、魚がまるごと一尾。何てことのない丸干しのいわしである。本体価格は六尾で180円。一尾あたり、たったの30円也。
とはいえ、頭のてっぺんから尾びれの先まで命である。贅沢の極みだ。
「いただきます。」と言葉を発するとともに、自然と手を合わせてしまう。気がつくと頭も少し下げている。瞼も軽く閉じたりして。
洋食は手軽
以前は、毎朝ミューズリーを食べていた。ヨーグルトを下地にして、袋に入ったミューズリーを振りかける。
そこにブルーベリーやらプルーンやらをトッピング。甘さに誘われ、バナナも欠かさなかった。気分はホテルライクな朝食だった。
「いただきます。」と声には出していたけれど、手や頭、瞼までは動かなかった。
これはパンでも同じ。命というより、むしろお菓子に近い。
地味に贅沢
和食中心の食生活に変わり、気になるようになったのが、魚と野菜。特に魚はスーパーの鮮魚コーナーをのぞくのが、趣味になった。美味しそうな真いわしでも見つけようものなら「ギョギョッ」と口をついて出そうである。
鮮魚コーナーで包丁を握るお兄ちゃんとも、少しだけ会話ができるようになった。目利きとまではいかないが、少しずつ魚のこともわかってきた。
これもまた贅沢だ。そろそろ鰹も終わり、秋刀魚の季節到来である。
七輪で秋刀魚か。いいなあ、七輪。
とはいえ、置き場所、取り扱い、使用頻度・・・。悩むよなあ。
老い先短い人生。
贅沢を楽しむために買ってみるか。