見出し画像

向き合えないふたり:映画「私の、息子」(2014)

巣立たない息子、子離れできない母

子供を轢き殺してしまった息子を、お金やコネを使って救おうとする母親を描いた作品である。
と言われると、言いようもない不快感が押し寄せてくるが、この映画はそういう物語だ。
しかし、単純に「気持ち悪い」「異常だ」と言い切ってしまうには、どこかで見た事があるような光景な気がして目を逸らせない。


映画は、母親・コルネリアの悪態から突然始まる。
息子・バルブの恋人に対する愚痴を語るさまを、ドキュメンタリー映画かのようなカメラワークで不安定に切り取る。このようなカメラワークは作中に度々登場するが、これはいつも彼女が息子への執着を見せている時だ。

「だから子供は2人作れと言ったのよ」と、愚痴を聞いていたコルネリアの妹が呆れたように言う。

共依存に見せかけたすれ違い

この作品で中心となるコルネリアとバルブは、互いに自立できていない。

束縛の強い母に反発を見せるバルブも、交通事故を起こした直後は母の言いなりになり、甘えた態度を取る。そして次の日にはまた強い反発を見せる。彼の情緒はあまりにも不安定だが、おそらく依存を断ち切ろうとしても断ち切れない葛藤の中にいる。

対して、コルネリアは息子に過剰な愛情を注ぐも受け入れてもらえないという現実から目をそらしている。息子にひどい悪態をつかれても、他人の前では「心優しく、内気で、利口な子」だと言ってしまう。
しかし、彼女は嘘をついているつもりも、息子を過大評価しているつもりもなく、本心からそう思っている。
都合の悪い現実は耳をすり抜け、「私が守ってあげなきゃいけないの」と、三十路を過ぎた息子に過剰な愛情を注ぐ。


このふたりは、互いに求め合っているように見えて、実は全く違う方向を向いている。
バルブは現実世界の母親の影響力にすがっているに過ぎない。性愛や情愛は恋人に向いている。対して、コルネリアは頭の中で作り出した理想のバルブを信じ込み、だからこそ助けてあげなければと自分の存在意義を見出している。

互いに互いを利用しているという点では、似たもの親子、なのかもしれない。

執筆 2014年6月・編集2023年4月


再掲に寄せて

珍しく、元の文章から内容を編集して再掲する。この文章を書いた当時(大学4年生)から歳をとり、様々な成人男性を見てきたからかもしれない。

「こんな親子関係、珍しくもないのでは」なんてこと、みんな知ってるのだ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?