日本の教育の現在地③──為政者への恭順と服従を求めた「改正」
本田由紀(東京大学教授/3月25日号)
現在の日本の教育を方向付ける根拠法となっているのが、2006年に変更された教育基本法である。変更前の旧教育基本法は、敗戦後に成立した日本国憲法に基づき、新たに民主的な教育を実現してゆくための理念や原則を定めるものとして、1947年に成立した。
▼悲願の教育基本法「改正」
自由民主党は、1955年の結党以来、日本国憲法と旧教育基本法(以下「旧法」と略記)の「改正」に意欲を示し続けてきたが、長きにわたり実現に至らなかった。
しかし2006年に、党にとっての悲願の一つを達成したのである。その直接の契機は、小渕首相の私的諮問機関であった教育改革国民会議が2000年12月22日に森首相に対して提出した「最終報告」において、教育基本法改正が提起されていたことにある。
それを受けて中央教育審議会に新たな教育基本法のあり方について諮問がなされ、2003年3月20日に改正を進める旨の答申が提出された。同年5月には自民党と公明党の議員から成る「与党教育基本法改正に関する協議会」及びその下部組織である同「検討会」による非公開の議論が開始され、2004年6月の中間報告、2005年1月の政府原案公表を経て2006年4月には最終報告が提出された。同月に閣議決定された改正案は国会に提出され、12月25日に可決・成立した。
こうした教育基本法改正の経緯には、官邸が主導するトップダウン型の政策形成へと教育行政が変容したことが表れている。
では、新しい教育基本法(以下「新法」と略記)はどのような性質を持つのか。
▼「形成者」と「愛国心」
新旧両法において最も重要な条文は、冒頭で「教育の目的」を規定する第一条である。旧法の第一条にあった「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた」(国民の育成)という文言は新法では削除され、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた」(国民の育成)という文言へと変更された。新法では、個人はあくまで「国家および社会の形成者」として位置づけられており、そのための「資質」を身につけさせることこそが、教育の目的として定義されたのである。
そして、旧法では「教育の方針」を述べていた第二条は、新法では「教育の目標」へと変更され、第一条の「資質」を具体的に表す5つの項目が掲げられる形へと大きく修正された。新規の5項目には、「道徳心」「能力を伸ばす」「勤労を重んじる」「公共の精神」「伝統と文化を尊重」「わが国と郷土を愛する」といった、為政者が望む国民像が盛り込まれている。
また注目すべきは、これらの5項目すべてが「…態度を養う」という表現で統一されていることである。これは、教育の目的とされる形成すべき「資質」とは、言い換えればこれらの「態度」であるということを意味している。
「態度」とは、外面に表れるふるまいと、内面としての心のあり方の双方を表す言葉であり、新法はこの両面から、為政者にとって好ましい人間像をいわば徳目として強力に押し付けるものとなっている。特に、5番目の項目が規定する「わが国と郷土を愛する」という「愛国心」は、為政者への恭順と服従を求めるものである。
▼格差化や競争を強化する教育
さらに新法では、旧法よりもいっそう「能力」という言葉が散りばめられている。前述の第二条にも「能力を伸ばし」という言葉が含まれるが、「教育の機会均等」を規定する第四条にも「能力に応じた教育」という言葉があり、これは旧法における「能力に応ずる教育」よりも選別主義的・適格者主義的なニュアンスが濃い表現となっている。
また「義務教育」を規定する第五条でも、「各個人の有する能力を伸ばしつつ」と新たに書き込まれた。すなわち、新法では個人間の「能力」に差があることを前提としつつ、それをできる限り伸ばすという、格差化や競争を強化する方向性が露わになっていると言える。
以上の諸点だけでなく、新法には生涯教育、大学、幼児教育など、旧法には存在しなかった条項が大量に盛り込まれている。しかも、第十条では保護者が子どもの教育に「第一義的責任」を持つことまで規定された。第十三条に表れる「地域住民」とともに、全国民が教育に「責任」をもつとされたのである。
これらの特徴を持つ新教育基本法は、以後の教育関連諸法や教育行政の全域に、強い影響力を及ぼし続けている。次回はその帰結について述べる。