津軽三味線 偉人伝 #7長作坊
仁太坊 2人目の弟子 長作坊
出生は? 本名 太田長作 明治8年(1875)~昭和24年(1949)は青森県 北津軽の長泥村出身の明治時代の奏者。
どんな人? 幼少期に失明しており、15歳で坊様として暮らす事を決心し、明治21年仁太坊の元を訪ね3年間稽古をつけてもらった。 津軽三味線では三味線本体である胴の前側を叩くと小さい音が鳴り(前撥)、後側を叩くと大きい音が鳴り(後ろ撥)、これら2種を組み合わせて演奏するが、長作坊はこの前撥での演奏に長けていたと言われている。 独立後は狐森にて活動し「狐森の長作」呼ばれた。
エピソード 音感が良く、わずか6ヶ月で三味線、尺八、横笛の基礎を習得したと言われている。 前撥を多用した奏法は「長泥手」と呼ばれ、弾き三味線の原型になったと言われている。 師匠である仁太坊は叩き三味線を得意としていたことから、独自の奏法を好む方針となるが、これは仁太坊の「人まねでね、おめの三味線を弾け」という言葉を体現した結果となる。 後進の育成にも積極的で300人もの弟子をとった。後の三味線の名手となる梅田豊月もその1人であり、豊月が「音澄み」(三味線の奏法で駒に指を掛けて音を極端に小さくする)を編み出すことで、三味線の演奏はさらなる広がりを持つこととなる。
師弟関係 師匠:仁太坊 弟子:梅田豊月、虎坊
作品関連 ーーーー 長作坊が演奏した音源等は残されていないが、前撥にこだわった音色豊かな演奏で、多くの人々を魅了したのだろう。
参考文献
津軽三味線 まんだら(松木宏泰 著)
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