津軽三味線 偉人伝 #1仁太坊
津軽三味線の開祖 仁太坊
出生は? 本名 秋元仁太郎 安政4年(1857)~昭和3年(1928)は青森県 金木町出身の明治時代に活躍
どんな人? 8歳の時に天然痘で目が見えなくなった。 盲目の女性旅芸人の瞽女に三味線を習い、14歳の頃から坊様として門付けを行うようになる。21歳の時、他の芸者よりも目立てるよう、従来の細棹ではなく太棹である義太夫三味線を用いて、撥で弦と三味線の皮を叩く派手な演奏方法を生み出した。これが現在の津軽三味線の奏法のルーツとなっている。
エピソード 一人で尺八、三味線、太鼓等、8人分の芸をする「八人芸」で注目を集める。 仁太坊が口にした「人まねでね、おめの三味線を弾け」、「おれは門付はしない、芸を売るのだ。」との言葉からも負けず嫌いで芸人としてプライドを持って活動していたことが伺える。また、多くの弟子を取り、自身の技術を後世に残したことから、津軽三味線の開祖と呼ばれている。津軽三味線の歴史を語る上では欠かせない存在である。
師弟関係 師匠:瞽女 弟子:喜之坊(古川喜之助) 長作坊(太田長作) 白川軍八郎
作品関連 2004年に「NITABOH 仁太坊-津軽三味始祖外聞」として仁太坊の生涯がアニメ化されている。上妻宏光が作中の演奏を手がけているが、彼の運指や撥捌きを映像で再現しており、歴史的な資料としても、作品としても価値が高く様々な賞を受賞している。
参考文献
津軽三味線 まんだら(松木宏泰 著)
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