津軽三味線 偉人伝 #5 福士政勝
唄付け(伴奏三味線)の名人 福士政勝
出生は? 本名 福士正雄 大正2年(1913)~昭和43年(1968)は青森県 南津軽郡猿賀村字八幡崎出身で、昭和に活躍した。
どんな人? 農家の子で幼少期から三味線を弾いていたが、特定の師匠はいなかった。17歳の時に陸奥家演芸団に入団し、白川軍八郎や木田林松栄と共に陸奥家園芸団で活躍し、三羽鴉と呼ばれた。 唄づけに対し熱心に取り組むことで、唄い手たちに信頼され、「唄づけ名人」と呼ばれた。
エピソード 陸奥家演芸団に入団した際は、林松栄より実力は上と称され、互いにライバルとして切磋琢磨した。唄い手である成田雲竹女と籍を入れ一座を立ち上げると東北を中心に巡業を行った。 実力はあるものの、同時期に活動していた竹山や林松栄と比較すると、そこまでの人気には至らなかった。 かなりの酒豪で毎晩深酒し、弟子達に送り迎えをしてもらっていた。 小山貢に「あれだけ腕があったのに、人が良く、酒好きな政勝は運を逃してしまったのだ。」と語られている。 上京して民謡酒場等で演奏活動を生業としていたが、1968年演奏中に脳溢血にて倒れ、戻らぬ人となった。
師弟関係 師匠:正式な師匠はなし、白川軍八郎(※) ※影響を受けた人物として 弟子:二代目福士政勝、五錦竜二、山田千里
作品関連 津軽あいや節では唄のメロディーをなぞるように三味線を演奏する。この曲では、呼吸を合わせる間、唄い手を盛り上げるグルーブ感、歌詞の発声に揃えた一音一音の音粒の大きさ、政勝の技量が遺憾なく発揮されている。人に優しい政勝だからこそ成し得る演奏と言える。
参考文献
津軽三味線 まんだら(松木宏泰 著)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?