余白の交差する場であってほしいと(ボドゲの鉄人・今はまだ非公式に応援してみる Advent Calendar 2024|17日目)
すべての皆さま、おつかれさまです。W2ナニカソンです。
つい、描きたくなる光景がそこにあった
この日、鉄人のハイライトでもなんでもないスケッチが生まれました。
これらはタイムテーブルにもシナリオにもなかったイレギュラーの出来事。
でもそれがとても心に迫ります。
もしも、このような場面を生み出す余地のないほど「ボドゲの鉄人」がシステマチックで整った企画だったら…と考えると。
おそらく、本来想像に必要な混沌への許容度が今よりも足りなくて、その結果、本編で生まれるものからも、不確かさの躍動感がいくばくかは失われるのではないか…などと思ったりもします。(反論はあるかもしれませんが)
では、整ったらそれは生み出せないのか?
いいえ、今後洗練されてゆくことは避けて通れない道(というか、もちろん不完全であること自体からはシンプルにカイゼンも生み出されているわけですから、むしろ洗練を目指すは必定)です。それ自体はもちろん悪いことではない…どころか、ぜひ進みたいものではあるはずです。
第1回と第2回の間にすらその差は、少し垣間見えたのです。
ここで、やはり思い出したいのが「余白の設計」という概念ですよね。
余白から生まれる物語をこれからも
いまの「ボドゲの鉄人」に余白があるのは、まだ発展途上で不完全であることによるある種の恩恵みたいなもので、精緻に意識して設計しなくても、勝手に余白が生まれているのだと思います。
考えようによっては無謀な未整備さを、参加している人たちの機転と腕力と胆力で形にしている。イレギュラーが起きることももともと全スタッフや関係者が覚悟の上で、ある意味有機的に、最善の判断を模索しながら開催しているから、意外な物語が生まれている。
絵には切り取りませんでしたが、それこそ24日目で取り上げた「途中参加」の化身の物語も、臨機応変の産物であり、そこにはあやうさもあるけれど、即興性と偶発性が生み出す色彩がある。
今後、よりそぎ落とされてゆく段階で、このたまたまの恩恵で生まれていたものは、なにも意識しなければある程度薄れていってしまう宿命です。だから、少しずつ「余白の設計」も意図的に組み入れてゆくことで、練度と両立する形でクリエイティブな渦を残し続けてほしいなと願いたくなるのです。
願わくば、いつまでも余白の交差する場であってほしいと。
年越し…? それでも追記してよいのです
システムがいつまで許容するのかよく分かっておりませんが、入力できるのであれば、カレンダー作ったヒトとしてはいつ投下されてても時期は気にしないスタンスです。
それこそ来年、次のカレンダーが(あるのかわかりませんが)生まれる前までなら(システム側で入力が許容されるならですが)いつでもどうぞですよ。
(W2ナニカソン・ワクワク魔人S)