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黎明の流儀#2夜明けまで踊ろう(ボドゲの鉄人・今はまだ非公式に応援してみる Advent Calendar 2024|25日目)
すべての皆さま、おつかれさまです。W2ナニカソンです。
この記事は【ボドゲの鉄人・今はまだ非公式に応援してみる Advent Calendar 2024】の25日目です
黎明の流儀…の本論
第1回の内容は、押さえていただけましたかね。
素晴らしい混沌の産声ですね(結果論)。
さて、この記事の中で、
黎明期の混沌とした不安定な情報の中で、なにに突き動かされて第1回参加やその後のかかわりを決めたのか
の話をしようとしていたと語っております。
それが今回だろ? ということです。
そうですね。
(おそらく)スクラムフェス三河の呼び声
この「ボドゲの鉄人」のあと、しばらくして、まったく別の起点から、「二人目に踊る人」に関する、最新から過去の知見まで拾って盛り上がるムーブメントのようなものを観測しました。
おそらくスクラムフェス三河の頃だと思います。すみません、私自身はこのスクラムフェス三河にはなにも関わっておりません。関心のある分野ではあったので、結果的に観測していただけです。
新しい考えというわけではないが普遍的に揺り起こされる、この「二人目に踊る人」の存在。その意味にもう一度揺さぶられて、それが「ボドゲの鉄人」の記憶と個人的にリンクして、内面が渦巻いていた記憶があります。
どこまで落とし込んだものかと迷いつつ、それでもどこかには(なにより未来の自分のため)この引っかかりを残しておかなくてはと思って、その時目撃して引っかかったものたちを記事に抜粋して乱暴に載せたりしておりました。
大事なことなのでもう一回載せておきます。
社会運動はどうやって起こすか(デレク・シヴァーズ氏/2010)
https://digitalcast.jp/v/12412/
やっていき、のっていき(栗林健太郎氏/2017)
https://speakerdeck.com/kentaro/the-secret-of-leadership-and-followership
チームにノリをもたらした時にいた「二人目に踊る人」の共通点(中島智弘氏/2023)
And when you find a lone nut doing something great, have the guts to be the first one to stand up and join in. And what a perfect place to do that, at TED.
(字幕上の日本語訳)スゴイことをしている孤独なバカを見つけたら立ち上がって参加する最初の人間となる勇気を持ってください。ここTEDはそのための最高の場所です。
(デレク・シヴァーズ氏/2010)より
ナニカを始めるという黎明の姿とは
新規事業のようなことを、妄想だけしていてまだ実際にやってみなかった頃の私は、多くの人が表現するように「道なき道を進む」みたいなビジュアルで描いていました。「なければ道をつくる」だとか「切り開く」のようなイメージはあってそれなりにたくましい妄想ではあったけれど、今思えばその世界にはしっかり太陽の光が届いていました。
まだ開墾されていないというだけ。それなりに険しい土や水があらわになっているだけ。たとえそれが砂漠でも、実際に向かえば死と隣り合わせの山肌だとしても、新しいことのイメージとしてはどこか甘っちょろい。だって「どう厳しいのか」が一応は見えている、そんな範囲の世界を想像していたのですから。
そこにあるのは困難ではなく「わからなさ」
でも、実際にはそんな光景じゃないなと思います。なんというか、恐怖の根本的な在り方、質が違う。そこにはそもそも太陽の光なんてほとんど届いていない。せいぜい薄明かり。しかもこの後明ける保証もない。「道なき道を進む」の段階じゃなくて、道があるのかないのかもなにも見えない。というよりも、道という概念が通用する世界なのかもわからない。上も下も重力すらもわからない。世界そのものの法則すらわからない。そんな黎明期。
ほんとうに新しい(それは言い換えればその時点で「馬鹿げた」)ことを始めるのとしたら、必要なものはきっと「勇気」などではありません。勇気なんてまだまだどこか小ぎれいなもの。所詮「自分がなにに立ち向かえばよいのか」見えてようやく威力を発揮する条件付きの武器のような気がします。これはあくまでも私の言語感覚なので、異論・反論(私はこう思う)は当然あるかもしれませんが、ひとまず現時点の私にはそのように映るのです。
「狂気」ひとつを友にして
では「勇気」の前に、まずなにが必要か。それはおそらく「健全な狂気」です。敢えて自分の常識のリミッターをぶっ壊したり、安全装置を自分で解除してニヤニヤしながら黎明の虚空に踏み出してしまうこと。と同時に、それでも誰かを傷つけたり自分を傷つける方向にだけは暴走しない不思議な俯瞰力と、自分のトチ狂った状況をちゃんと判断も分析もできるのに同時に平然としているようなタフネス。
ヒトはときにそれを「愉しむ力」とか、かなり丸めたコトバで表現しますけれど、近くで目の当りにしたらそこには間違いなく「狂気」があります。デレク・シヴァーズ氏の云う「スゴイことをしている孤独なバカ」はなぜ孤独なのか。そのひとは勇者には見えないから。「狂気」はカンタンには理解されず、基本的にそれこそが宿命だからだと思います。
「わけのわからない」をやっていき、のっていき
ボドゲの鉄人も、第2回だと「名だたるあのデザイナーの脳の中がのぞける」みたいな、わりと翻訳された、わかりやすい部分が出てきた印象です。それは、私の目には「狂気」の一部が必然に削ぎ落とされて「勇気」に姿を変えようとしている、というようもに映ります。
それでも、私が「ボドゲの鉄人」のなかで現時点で本当の魅力だと思うのは、まだまだ黎明の中に隠れた部分。もっと露骨にワラビサコさんの純粋なエゴみたいなものが乗っかっている「わけのわからない」部分なのです。それこそ「なぜこの鉄板でなければならないのか」みたいなわかるようでわからないけど、それがよい部分。味わいのあるところ。
「ボドゲの鉄人」が認知されて、いわゆるみんなの・私たちの「ボドゲの鉄人」になってゆくとき、その隠れた部分がさらに剥がれ落ちてゆくのか、逆にその勢いに乗ってもっとすごい形でドロドロと押し返してくるものなのか、私にはまだわかりません。
それでも、この「わけのわからなさ」が完全に消えてしまわないとよいのになと思ったりもします。私は「狂気」の残滓があるなら、その余韻を愉しみ、あともう少しともに踊るのかもしれません。
大前提として、明日のことなんてなにもわかりませんけどね。私はあと少し踊りたくても、フイッと不要になっちゃうかもしれませんしね!
黎明の流儀・夜明けまで踊ろう
なにより、夜の帳が完全に下りたなら、「狂気」はヒトビトに「勇気」と識別されるのでしよう。デレク・シヴァーズ氏の云う「スゴイことをしている孤独なバカ」は、ヒトビトの認知の中である日突然「勇者」になります。
そうして愚か者の「勇者」が生まれるとき「二人目に踊るもの」はある意味で役目を終えるのでしょう。もちろん、そのまま勇者の仲間として別の姿に身をやつして大冒険をすることもできるでしょうが、それは必然の既定路線ではなくて。やはり「二人目に踊るもの」は概念としては立ち去るのです。
踊るのはただ夜明けまで。そして光の中にいつか消えてゆく。正確には、そこにいるけど、少しずつ見えなくなってゆく。自分がいつか消えてゆく日のためにあえて二人目に踊ってみようか。こんな暗がりで踊る怖いもの知らずは、意外と限られているみたいだから。
どこまで伝わったでしょうか。そんな奇妙な衝動が第1回参加の動機であり、協賛や第2回応援の根源であり、私の内にある黎明の流儀です。
そして。
どこかの無責任な常套句のように。
夜明けが来ても、私たちの旅は終わらない。
だからおまえの実験は、このきれぎれの考えのはじめから終わりすべてにわたるようでなければいけない。それがむずかしいことなのだ。けれども、もちろんそのときだけのでもいいのだ。
Advent Calendarこれにて閉幕!
ここまでお付き合いさせておいて最終稿が、むしろ『書いている張本人の「狂気」がにじみ出ているわけのわからないポエム』という暴挙でした。
でも。このイベントには、こういう「狂気」を惹きつけるなにかが確かにあるのです。だから、きっとステキなものになっていくと直感し、不確かでも不完全でも、多くの人が手を差し伸べてきたのではないかなと思うのです。
そう、今はまだ荒削りで、触るとときに怪我をして、見ようによっては無作法に荒ぶる眼差しの迷子のようだとしても、面白い。
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参加してくださった執筆者の皆さま、読者としてお付き合いいただいたそこのあなた、完全に通りすがりでもらい事故に遭ったあなたも、ご縁をいただきありがとうございました。
ただし、閉幕後も「途中参加」できますよ。
And when you find a lone nut doing something great, have the guts to be the first one to stand up and join in. And what a perfect place to do that, at Iron Board GameR.
来たる2025年も、お互い新しいナニカにたくさん出遭えますように。
(W2ナニカソン・ワクワク魔人S)
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