『育てる会議』の、明るい着地点
RayArc(レイアーク)の皆さま、おつかれさまです。新規事業ユニットです!
今回は、オープン社内報としてはやや変化球です。日経COMEMO編集部さまのお題に挑戦します。お題は『その会議必要ですか』?
あえて、明るい着地点をめざします
苦い表情で『回れ右』した、RayArcの皆さま。
ちょっと待って! 私の話を聴いて!
いいえ! 『うんざり』方向には進みません。
そうならないため、ひとつルールを課してます。それは、この記事をハッピーエンドにすることです。
私が会議を語る上で、明るい着地点を目指したい理由が3つあります。
『うんざり』を語って終わるのは、もう飽きた!
『テクニック』だけ語るのは、なんとも虚ろだ!
会議を無条件で悪者扱いするのは、イヤだ!
本題に入る前に、ひとつずつ説明します。
(理由1)『うんざり』を語るのは、いつでもできる
まず、私は会議の課題を『あげつらう』のには、もう飽きてます。
だってそれは、いつでもできること。
もちろん、目前の会議になにか課題があるなら。
それを、きちんと乗り越えるためなら。
プロセスとして『うんざり』も含めた思いを共有
そこから、ふりかえりをする
のは、とてもよいです。どんどんやりましょう。
でも、ただ『うんざり』を語って終わるなら、今回はやめておきましょう。
(理由2)『テクニック』だけ語るのは、役に立たない
『うんざり』だけではダメなのは、直感的にもわかりますよね。
次はそんな声が聴こえてきます。さて、果たしてそうでしょうか?
論理的には正しそうでも、実際それでうまく進みますか?
アジェンダをつくろう
終了時刻を守ろう
会議の最後に、決定事項を確認しよう
資料を事前に展開しよう!
否! 資料なんか用意するのやめよう!
など、巷で語られる『テクニック』は、いろいろあります。
対立するものもありますが、いずれも一概に間違いではありません。
しかし、無条件で正解にもなりません。
なぜでしょうか?
人が集まり、いっしょになにかをすること。
それは、そもそもフクザツなのです。
だから、『テクニック』を語ることには、弊害があります。ひとつ間違えると、本来のフクザツさを覆い隠してしまう。つまり、都合のよいように、課題を単純化してしまうのです。
それは、あまりステキではないのです。
(理由3)システム開発では、有益な会議も多い
最後は、そもそも論です。もう一度お題を見てみましょう。
お言葉ですが『会議=常に悪/ほぼムダ』という捉え方が、実は少し、実情に合いません。
そう、システム開発の現場では、そもそも、
な、会議ばかりではないですよね?
有益な会議にも出会いやすいと思っています。体感として。
アンチテーゼなのか、従来へのとらわれをなくすためか、「会議」という言葉ではないものもありますが…。
そんな楽しげな言葉も、聴こえてきますよ!
ウォーターフォールでも、アジャイルでも。優秀なPM(プロジェクトマネージャ)や、SM(スクラムマスター)がいれば。そしてステキな仲間がいれば!
すでに意義深い会議だって、結構あるんです。
そして、この数年の否応なしの社会の変化。
ツールや意識の革新が、さらに一段進んだ現場、たくさんあります。
会議そのものを悪とみなすような、単純化はできない!
だから、ハッピーエンドへ!
『うんざり』を語って終わるのは、もう飽きた!
『テクニック』だけ語るのは、なんとも虚ろだ!
会議を無条件で悪者扱いするのは、イヤだ!
だから、課題のフクザツさに、目を背けない。
そして、この記事をハッピーエンドにしたいです!
『育てる会議』のつくりかた
いよいよ、本題です。
価値のある会議、周りにたくさんあるよね、という話をしました。
では、RayArcの会議に課題はないのか?
いいえ、あります。
そう思う瞬間、残念ながら、たまーにあります。
(ムカシバナシではなく、いまでも、まだ少し!)
そこに、課題があるなら
オープン社内報なのに、そんなこと書いちゃうのかって? そりゃ、書きます。だって、前向きにその先に行くためだもの。隠すくらいなら、オープンにしなければいいじゃない?
私の場合は、かつて、飽きるほどうんざりして。
「だったら、自分にやれることをやればいい」と前向きに思い直して。
いまも、ファシリテーション武者修行してます。
だから、そこにまだ課題があるなら。
真因にアプローチして、よりステキな会議をつくればよいのです。
『育てる会議』とはなにか
RayArcでたまーに出会う、必要性がわからない(と、参加者が感じる)会議。その多くは、目的が見えにくい…つまり『フワッと』したものではないでしょうか?
見えにくいものは、どうしても迷走しがちです。
しかし。やるからには、目的があるはず。(一旦そう考えましょう)
一見『フワッと』した会議の狙い。おそらくは以下のようなものです。
長い目で見た、メンバー同士の関係づくり
日常では得られない『気づき』を促す場づくり
現場の学びを俯瞰して、体系化するサイクルの一環
これらは、いわば『育てる会議』です。
たとえば、人を、チームを、あるいは、未来を育てるもの。
やり方を少しでも間違えると、参加者は意義を感じにくい。それでいて、実は意外と重要。やっかいな存在ですね。ファシリテーション初心者がうかつに触ると、確実にやけどします。
…じゃあ、どうすれば?
いまこそ、会議のデザインをしよう
たしかに『育てる会議』は扱いが難しい。しかし大抵の場合、それ以前のところつまずいています。そもそも、会議のデザインをしていないのです。
その結果、どういうことが起きるか?
参加者も、開催(ファシリ)側も、着地点がわからない
参加者と、テーマ(問い)が、マッチしてない
参加者と、難易度設計が、フィットしてない
会議にとって必要な準備・検討を、体系的に行うこと。
コンセプト、流れ、難易度、時間と空間の使い方。それらすべて、参加者に合わせて丁寧に設計すること。それが、会議のデザインです。
デザインもせず、いきなりぶっつけで会議をするのは、そうびなし+レベル1でラスボス大魔王に挑むような、無謀な行動です。しかも参加者を巻き込んでの突撃。危ないったらないです。
1.着地点ファースト、そこからの逆算
まずは、この問題をなんとかしましょう。
会議のデザインをする段階で、その会議の着地点を明確にしていますか?
少なくとも、開催(ファシリ)側には、着地点が『どんな景色』なのか、見えているでしょうか。
たとえば。
以下のような、ありふれたテーマで会議を行うとします。
考えられる着地点の景色には、バリエーションがあります。
たとえば、以下のような。
普段気づきにくい俯瞰の視点で、作業効率化を見つめなおす。アイデアを持ち帰り一人ひとり実践。コスト削減ができて、めでたしめでたし。
残業という話題をきっかけに、メンバー間で深い意見交換が進む。背後にある価値観の違いに気づき、より尊重し合い協働できるチームになる。
1を目指すのか、2を目指すのか。はたまた、まったく別の3か? それは、チームの状況によって変わります。そして、1か2かで、ふさわしい会議の進め方も変わってきます。
1を目指しているのに、最後にアクションプランを宣言することなく、なんとなくで終了させてしまったら、ちょっと筋が悪いかもしれません。
逆に2なら、残業という話題は、関係構築のきっかけ(ダシ)にすぎません。アクションプラン宣言を組み込むと、本質ではないものに引きずられ、かえって逆効果かもしれません。
テーマの先にある、着地点はどんな景色か。
そこから逆算して、ブレや矛盾のない設計をしましょう。
2.人、チームにマッチする、価値観を揺さぶる問い
そんな会議に、最近出会いませんでしたか?
べつに「そういう会議が、ゼッタイあるはず」と、確信あって問いかけたのではありません。けれど、もしかしたら何人か「あれっ? そういえば…」と思ったのではないでしょうか。
もし、そんな引っかかりがあったなら。
この問いかけは、ちょうど、あなたにマッチしていたことになります。
参加者と、テーマ(問い)をマッチさせたいなら、その人たちの顔を思い浮かべて、スイッチを入れるドンピシャの問いかけを用意すること。
問いの設計のよしあしは、『育てる会議』の体験を一段引き上げます。
たとえば、こんな問いかけの特集があります。
実生活上では、ふっと考えさせられるような、価値観を揺さぶる問いです。
それは、日常のタスクの中で、人があえて、無意識に遮断している回路を、開け放つものでもあります。
フラットな関係の中で、多少の遊び心がくすぐられる仕掛けも用意して。対話的な意見交換が促進されたときに、どんな化学反応が起きるでしょう。ちょっと、考えるだけで楽しみになってきませんか。
3.課題に取り組みやすくする、足場づくり
最後に、難易度設計。言い換えれば、足場づくりのお話です。
着地点をイメージできたら、そこに至る『流れ』を考えます。視点を参加者にずらし、何度も、何度もシミュレートしてみるのです。すると…。
「あれ…?
意見が言いたくても、言えっこないね?」「ここで、ついていけなくなる?
どの選択肢を選んでも詰み? 無理ゲー?」
みたいな、難易度設計のバグが見つかることがあります。
バグに対処せず進めてしまうと、どんなことが起きるか?
Aさんは、まだ知識が足りず、途中で置いてきぼりになりました。
Bさんは、そのチームに参加して日が浅く、雰囲気がつかめていないので、とりあえず黙っていました。
Cさんは、言いたいことがあったけど、上司や先輩が同席していたので、遠慮して飲み込みました。
このままではゲームクリアなりません。会議は、参加者に放り出されてしまいます。行動を難しくしている原因を見極め、乗り越えられるよう足場をつくりましょう。
Aさんには、知識そのものをカバーしてもよいですが、分からないことを質問しやすいよう声かけをすることも、足場になります。Bさんなら、議論や対話に入る前に、改めて自己紹介の時間を入れるだけでも、効果あるかも。
Cさんのケースでは、参加者全体に「肩書外し」の仕掛けが必要そうです。普段の関係を引きずらないグランドルールを用意する、たとえば、会議の間はお互いの呼び方を普段と変えてみる…といったことです。
これも「肩書外し」の事例だと思うのですが、ロマンがありますね!
ムダはよくないが、『遊び』がないのは危険
今回のお題を目にしたとき、企画の本質とは少しずれるかもしれませんが、なんとなくモヤっとしたことがありました。
『必要ですか』の後ろには、『ムダじゃないですか』という言葉がそっと控えているようです。たしかに、ムダはよくないです。『ムリ、ムダ、ムラ』なんて言葉もあるくらい。
けれども。今、このタイミングで問うべき会議の最優先課題は、ムダがあることなのでしょうか?
この数年、少なくとも私の身近な現場では、ムダがあることよりも、むしろ『遊び』がないことによって、コミュニケーションにいろいろな不整合が起きている気がしてなりません。
ここでいう『遊び』というのは、いわゆる工学上の『遊び』のことです。
あるものが機能して動くときに必要になる、動線上のあるべき余裕、あるべき余白。意識しないと見落とす、決してムダではないゆとり。
切実なところでは、こんな記事もあります。
ムダはよくない。それ自体を本質的に否定するつもりはありません。
では、その会議が、誰かにとって『必要』でさえあれば、それでよいのか?
『必要』という大義名分のもとであれば、進め方・設計において、参加者に不安や閉塞感を感じさせる会議でよいのか?
私たちは会議について、ムダの先を考える段階ではないか、とも思います。
私なら、そんなお題でどんな声が集まるのかを、ぜひ聴いてみたいです。
そして、ほの明るい着地点(まとめ)
不要な会議自体をやめること。
それももちろん大切ですが、権限がなければできない場合もあります。
こと、組織では。
しかし、いまあなたの目の前にある『参加者が、必要と実感できない会議』を『参加者にとって、ココロから必要なもの』に変える行動なら。
たぶん、あなたが誰であっても、今日からできます!
たとえば…。
『育てる会議』を開催するなら、こんな問いもテーマとしておもしろそう?
発展させられるなら、なおロマン!
そんな問いを、日常の中で見つけることから始めてはいかがでしょうか。
でも、それには。私たちにはもう少し、『雑談』という名の『遊び』が必要かもしれませんね。
(新規事業ユニット・ワクワク魔人S)