無洗米と母とお金教育
なんの脈略もなくて恐縮ですが、私は無洗米を食べています。理由は単純でお米を研ぐ時間が必要ないからです。
日常をできるだけ効率化して、余った時間を自分への投資に使おうと思っているのが理由です。
先日実家に帰った時にあった出来事です
母からお米のおすそ分けの話がありました。
私「無洗米ならもらってもいいよ」
母「無洗米なんておいしくないでしょ」
うちの実家は、お米をといでそれから少し水でうるかしてから炊飯器に入れて炊いていた記憶がありました。それのほうがおいしいのでしょう。
母がかわいそうなので言わなかったのですが、正直味が全く変わりません、というか私にはわかりません。
母がかわいそうなので言わなかったのですが、正直味が全く変わりません、というか私にはわかりません。
我が家にお金があまりなかった理由が垣間見れたような気がしました
確かに、無洗米じゃないお米のほうがおいしいのかもしれません、でも世の中にはさらにもっとおいしいものや、美味しく料理をしてくれるシェフやお店があります。
お米のほうがおいしいのかもしれません、でも世の中にはさらにもっとおいしいものや、美味しく料理をしてくれるシェフやお店があります。
私なら、その研ぐ時間と外にかかる時間を減らして自分でお金の勉強するなりしてもっともっとおいしい料理を食べることを目指したいです。
実際、母は私が行ったことがあるような、価格は高いですが味がしっかりしているお寿司屋さん、洋食の料理屋さん等に行った事はありません。
知らなければ、知らないで一生を終えてしまうんでしょうが、それだと何となく寂しいじゃないですか。
知らなければ、知らないで一生を終えてしまうんでしょうが、それだと何となく寂しいじゃないですか。
母には育ててくれて本当に感謝しているし、ありがとうと思っていますが、お金の教育だけは小さい時からしてくれていたらもっと早くリテラシーを身に付けていくことができたのではないかなと思っています。
母には育ててくれて本当に感謝しているし、ありがとうと思っていますが、お金の教育だけは小さい時からしてくれていたらもっと早くリテラシーを身に付けていくことができたのではないかなと思っています。
お米は結局もらっていきました。
せっかくの好意ですから。