日本人にとって「靖國神社」とは何か?(前編)ー先生のための『和の国・日本国』講座㉛ー
こんばんは。りたろです。
自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を軸に発信しています。
今回は、
「先生のための『和の国・日本国』講座」という主題のもと
「靖國神社」に焦点を当て、
「靖國神社」とはどのような施設なのか?
なぜ、「靖國神社」は問題になるのか?
英霊の姿勢から私たちが学ぶべきことは何か?
などから、
『和の国・日本』とは何か?を考えていきたいと思います。
【今日の内容】
日本人にとって「靖國神社」とは何か?(前編)~先生のための『和の国・日本国』講座㉛〜
1)「靖國神社」のイメージって?
2)「靖國神社」の本質とは何か?
3)ご参拝することができなくなってしまった天皇
4)『英霊との約束』を守り続けた昭和天皇
1)「靖國神社」のイメージって?
いきなりですが、
みなさんは「靖國神社」と聞くと
どのようなイメージをお持ちでしょうか?
例えば、
このように
日本軍に扮したり、街宣車に乗ったりと
「靖國神社」=右翼
とお思いの方もおられると思います。
一般的に、
このように過激しそうな方々が守っている
「靖國神社」は、
何だか変なものに思えてくる
よくわからないけど抵抗感があるものとして
思われる方もおられるのではないでしょうか?
しかし、
「靖國神社」はそのようなものではありません。
「靖國神社」は、
明治2年(1869)6月29日、
明治天皇の思し召しによって
建てられた招魂社がはじまりです。
創建当時、
日本は近代的統一国家として
大きく生まれ変わろうとする歴史的大変革(明治維新)の過程
にありました。
明治維新により、
国内に避けることのできない不幸な戦い(戊辰戦争)を生み、
近代国家建設のために尽力した多くの同士の尊い命が失われる結果
となりました。
そこで
明治天皇は明治2年6月、
国家のために一命を捧げられたこれらの人々の名を後世に伝え、
その御霊を慰めるために、
東京の九段に「招魂社」を創建されたのです。
この招魂社が今日の靖國神社の前身で、
明治12(1879)年6月4日には
社号が「靖國神社」と改められ
別格官幣社に列せられました。
つまり、
「靖國神社」とは、
日本国のために戦って亡くなられた方々をお祀りしている宗教施設
なのであって、
本来、あのような戦争を想起させるような騒ぎを
起こしてよい施設ではありません。
2)「靖國神社」の本質とは何か?
「靖國神社」は、『誰が』『何を』お祀りする施設なのでしょうか?
祀られているのは、
「国のために殉職した方々」です。
「英霊」です。
ちなみに言うと、
一般的な神社では、
御神体は「御鏡」「勾玉」「剣」なのですが、
「靖國神社」の御神体は、亡くなられた方々の『名簿』
なんです。
では、
祀るのは誰でしょうか?
日本国でしょうか?
違います。
内閣総理大臣でしょうか?
違います。
日本国民ですか?
違います。
崇敬者ですか?
違います。
遺族ですか?
違います。
宮司ですか?
違います。
答えは、
『天皇』です。
「靖國神社」は、
『天皇』が「英霊」を祀る施設
なのです。
それ以外の何物でもありません。
そのため、
宮司さんは天皇陛下に代わってお宮を預かっているのです。
そして、
ご縁のある日本国民や遺族一人一人が参拝してもいいだけなんです。
もうひとつ。
「靖國神社」は、『誰のために』あるのでしょうか?
国民のためですか?
違います。
では、遺族のためですか?
違います。
天皇のためですか?
違いますよね。
「英霊」のためにあるのです。
では、
なぜ、「英霊」のためにあるのでしょうか?
それは、
『国家と国民との約束』だから
です。
「戦争で闘って死んだら、靖國に祀られる」
これは、『国家と軍人との約束事』なんです。
実際に、
先人たちがそれを望んでいたのかは分かりません。
しかし、『約束事』なんです。
だからこそ、
「靖國神社」のことを考えるときに
『誰の声』に一番耳を傾けるべきなのか?
答えはおのずとわかります。
「英霊」ですよね。
彼らがどのような想いで闘ったのか?
特攻隊の遺書などから感じ取り
「聞こえない者に耳を澄ませる」
「見えないものを見ようとする」
「英霊」の気持ちになって考えること
これが一番大切なのです。
3)参拝することができなくなってしまった天皇
しかし、
昭和天皇の時代から、天皇陛下はご参拝することができていません。
なぜ、「本質」であるはずの
天皇陛下のご参拝ができなくなってしまったのでしょうか?
それは、
「戦犯を祀っている神社に、参拝に行くということは、先の大戦でしたことを全く反省していないではないか?」
と支那や韓国に批判されるようになったからです。
そのきっかけは、
朝日新聞のある記者の記事でした。
それまで
支那や韓国は靖国神社の参拝に対して
批判はしていませんでした。
しかし、
昭和60(1985)年 中曽根首相の靖国神社公式参拝
の時に
朝日新聞が大きく取り上げたことにより、
「政治問題」へと発展してしまいました。
本当に、
どこの国の新聞社なのか。。。
国益を毀損することしかしていませんよね。
そして、
決定的だったのが、
昭和50(1975)年 三木武夫首相の靖国神社参拝
の際の記者へのある発言でした。
三木首相は、
靖国参拝をするときに
「私は『首相(公)』としてではなく、『個人』として参拝する」
と発言してしまったのです。
これが問題だったんです。
『個人』として参拝する。
つまり、
『内閣総理大臣』三木武夫として参拝するのではない。
三木『個人』として参拝するんだ。
だから、玉ぐし料も自分のお金から出した。
問題ないだろう。と言ってしまった。
だから、
支那や韓国の批判は当てはまらないだろう。と。
しかし、
この『個人』という言葉。
絶対に、絶対に、ぜっっっったいに口にしてはいけない言葉だったんです。
なぜか?
総理大臣は仕事としての役職なので
「公人」や「私人」の区別をつけることができます。
でも、
天皇陛下は「私」というものをお持ちにならないんです。
だから、
天皇陛下が
「今日は、『個人』として参拝します」
なんてことはいうことができません。
天皇陛下は
御存在そのものが「公」であり、
国事行為をなさっているときも
皇居でおやすみのときも
寝ているときも
ご飯を食べているときも
何をしているときも「天皇」なのです。
そのため、
三木武夫が
「個人として…」と発言した瞬間
天皇陛下の御参拝はなくなりました。
自分が参拝する理屈だけを考え、
自分のことだけしか考えない
浅はかな、何も考えない発言によって
靖國神社の本質である
「天皇陛下が英霊を直接お祀りすること」
ができなくなってしまったのです。
それ以来、
昭和天皇も
上皇陛下も
天皇陛下も直接参拝することは叶わず、
2020年になっても
支那や韓国は批判し続けています。
このような状況になった時。
昭和天皇はどのようなお気持ちだったのでしょう。
相当悔しかったことでしょう。
なぜなら、
天皇の本質は「祈る存在」
だからです。
昭和天皇は、直接参拝したくても参拝することができない。
なぜか?
天皇は「非政治的な存在」でなければならないから
です。
天皇の行動が
政治問題を起こしたり、
外交問題を起こしたり、
経済的な問題を起こしたりしては絶対にいけないのです。
もし、そのようなことがあった時
例えば、
支那や韓国と貿易をしている会社がうまくいかなくなり、
会社が倒産してしまった。
その時に、非難の対象となるのは
そのような行動をした「天皇」に向けられます。
そうなれば、
「皇室廃止論」などが沸き上がり、
国民の不満が募り、
後々、皇室の弱体化につながってしまいます。
直接御参拝したくても、できない。
どれほど悔しかったことでしょう。。。
この政治が招いた問題。
なんとか解決しなければなりません。
4)『英霊との約束』を守り続けた昭和天皇
このように、
政治によって天皇陛下のご参拝ができなくなってしまいました。
政治の世界は、
「英霊」たちが悲しむようなことばかりをしてきました。
ところが、
たった一人。
たった一人だけ、
『英霊との約束』を守り続けた方がいました。
それが、
昭和天皇
です。
そして、
その御心を上皇陛下、
天皇陛下が受け継いでいます。
昭和天皇は直接参拝できなくなってしまいましたが、
その状況において
何をなさったか。
普通だったら、
「参拝するか」か「参拝しないか」
この二者択一で考えるでしょう。
ところが、
昭和天皇はこの二つのどちらも選びませんでした。
第三の選択肢を自ら選ばれたのです。
どのようなお考えで
第三の選択肢を選ばれたかというと
「形は変わるけれども中身は変わらない方法は何か?」
を考えたのです。
そして、
昭和天皇がとった方法が
「直接参拝することはやめる。
その代わり、春と秋の大祭には必ず『勅使』を派遣する。」
直接その場所で参拝することも一つの方法ですが、
離れていてもその場所に意識を集中して
その場にいるような思いで拝む。
これを『遥拝(ようはい)』といいます。
本当は、
御自身でご参拝をしたい。
でも、
政治問題に発展してしまうため
したいことができない。
それでも、
考えて、考えて、考えて
現在も行われていることが
『勅使』を派遣し、『遥拝』すること
だったのです。
では、その問題となった
「A級戦犯」の合祀とはどのような問題なのでしょうか?
次回の記事でまとめていきたいと思います。
これまで、
「日本はいい国だ!」というと
軍国主義者と言われたり、
危険思想だと思われたりしていました。
しかし、
2011年3月11日
東日本大震災を契機に外国から注目されてから、潮目が変わりました。
じつは、わたしたちが住んでいる『日本国』はすごい国なんです!!
まだまだ、
歴史の闇に埋もれてしまった「真実」が
たくさんあります。
「日本を知ることは、
『自分のルーツ』を知ること」
わたしたちの生まれた国をもっと学びませんか?
そして、子どもたちに伝えませんか?
自分の生まれた国を誇りに感じることは、
きっと自己肯定感とか自己効力感につながるはず。
一緒に、『和の国・日本』を楽しく学びましょう!
最後まで、お読みいただきありがとうございました。