考える力を高める「5つの言葉」とは?―『考える力』を高める魔法の言葉~日本人が大切にしてきた「言霊の本質」を探る~―(後編)
こんにちは。高杉です。
日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。
その一環として、
小学校教諭として学校現場では、
「和の心」を軸に、喜びあふれる豊かな学級集団を作り上げるために、
自らの持ち味を社会に貢献する「『和』の学級経営」を目指して
日々奮闘しています。
これまで、
という主題でお話をしていきます。
今回は、
どのようにして、日常生活から「考える力」を高めればよいのか。
その言葉がけについてお話していきます。
1)「問い」をもたせる魔法の言葉とは?~疑問を持つ~
まずは、
ということです。
これまでの学校教育は、
「コンテンツ(科目)を指導する」ことに主眼が置かれていました。
コンテンツは常に正しいという暗黙の了解があり、
いつしか「疑問を持つ」ことを忘れています。
例えば、地球温暖化問題です。
夏はたしかに気温が上昇していますが、
冬は温暖化されているのでしょうか。
そもそも温暖化と言われだしたのは、
どのようなことが要因としてあるのでしょうか。
地球温暖化問題によって
異常気象が起こっているという前提のもと教育が行われていますが、
本当なのでしょうか。
このように「疑問を持つ」ことを大切にする教育が行われていなかったため、習慣化されることはなかったのではないでしょうか。
学校教育で主に問われる言葉群は
一般的に「何?」「どこ?」「誰?」「いつ?」「どれ?」です。
これらは「知識」がインプットされていればだれでも答えられますが、
頭に入っていないと答えられません。
では、
疑問を持たせるためにどのようなことばを投げかければよいのでしょうか。
それが、
という言葉です。
例えば、
と問われると、
住所を答えられますよね。
これは、「知識」で、頭に住所が入っているから答えられます。
しかし、次のように質問されたらどうでしょうか?
こう問われたら、「え、なぜだろう?」と考えますよね。
まさに、この時、脳の神経細胞・シナプスに電気信号が走り、
「考える」状態になるのです。
人は、何を問われるかによって、頭脳の働きが変わります。
私たちの多くは、
子どものころ、実は「疑問を持つ」ことを頻繁にやっていました。
子供は、さまざまなことに興味・関心を示します。
このたびに「ママ、なんでこうなっているの?」と聞いたことでしょう。
はじめは親も「これはね、〇〇だからなのよ」と
優しく丁寧に教えていたのが、
何度も聞かれるうちに、「あとでね!!」と答えてしまったり、
そのうち返答することすら面倒になってしまったりします。
そうすると、
子どもは聞いてもしょうがないと割り切り、
疑問を持つことをやめていきます。
人に問えば、相手の頭脳が動き出します。
自分に問えば、自律的に考える力がついていきます。
人は、日常生活で、ほとんど疑問を持たずに生活しています。
なぜなら、周囲の情報のすべてを受け取っていないからです。
その背景には、脳の構造の問題があります。
脳は、
「見たいものしか見ないし、聞きたいものしか入ってこない」
という特徴をもっており、
興味関心がある情報しか入ってこないという性質があるのです。
そこで、
「なぜだろう?」「どうしてだろう?」と問いかけてみます。
すると、
そこに意識が焦点化されて頭脳が動き出します。
「人は、問われることにより『考える』ようになる」のです。
2)「問い」をもたせる魔法の言葉とは?~自分の考えを持つ~
2つ目は、
です。
この言葉で問われると、何かしら「考え」なければなりません。
そして、言語で表現しなければなりません。
そのため、結果として「自己表現力」がついていくのです。
「自己表現力」は、
新学習指導要領で重視される要素の一つです。
これまでは、
自己表現力がなくても知識の量だけで
それなりの成績をとることができましたが、
これからはまったく異なるフェーズに移行します。
「どう思いますか?」と同じような局面で使われる言葉に、
「質問はありますか?」があります。
学校でも、会議でもよくこの問いは使います。
しかし、
残念ながら、この問いはほぼ意味がないといっていいでしょう。
なぜなら、それに対する返答は「ない」であることがほとんどだからです。
実際は、「ない」のではなく、
いきなりでは答えにくいということなのですが、
誰も発言しないことで、質問・疑問はないものと錯覚されてしまいます。
そもそも、
多くの人は疑問を持ちながら話を聞いていないので、
質問が出にくいという背景もあるかもしれません。
そこで、
「感想はどうですか?」
「どう思いますか?」という聞き方をしてみてください。
すると、
感想なら答えられますし、
感想を言っているうちに、
その話の中に質問が混じったりすることも出てきます。
このように何を問うのかによって、
人は話しやすくなり、
円滑にコミュニケーションができるようになっていきます。
3)「問い」をもたせる魔法の言葉とは?~問題解決意識を持つ~
3つ目は、
です。
「どうしたらいい?」と問われることで、
解決策を「考える」ようになります。
もし、この問いかけをしなければどうなるでしょうか?
通常は、「困った」→「考える」ではなく、「悩む」状態になります。
見かけは考えているように見えますが、
実態は悩んでいて何もしない状態であることが多いです。
「悩み」というのは、
過去、現在に対することであり、ネガティブなものです。
しかし、
「どうしたらいい?」と問われることで、
視点が未来に向かい、ポジティブなことを考えるようになります。
「問題」と似ている言葉で、「課題」という言葉があります。
この二つの言葉の違いを知っていますか?
一方で
です。
例えば、
「子供がゲームばかりやっていて少しも勉強しない」というのは、
「問題」です。
では、この問題を「課題」の表現にするとどうなるでしょうか?
「ゲームばかりやっていても勉強するようになること」
あるいは、「ゲームをやらずに勉強をするようになること」になります。
実は、
このゲームの課題の場合、
多くのご家庭は後者の「ゲームをやらずにべんきょうをするようになること」を選択してしまいます。
しかし、
実際は、
前者の「ゲームをやっていても勉強するようになること」の方が、
ネガティブな要素がないため、より効果的で実行性があるのです。
このように、
「問題」を「課題」に変えることで、論点がはっきりとして、
「何をするべきか」が明確になってきます。
4)「構造化」できるようにする魔法の言葉とは?~抽象化思考の習慣化~
ここまでは、
という
『疑問を持つ』ことにより
「考える力」を高める言葉のお話をしてきました。
次は、「構造化」できるようにするということです。
この思考は、別の言葉で表現すると、
「抽象度を上げる」ということです。
これは、考える力を持ってる人の最大の特徴というべきものです。
「抽象的」「具体的」という言葉はご存じでしょうか。
例えば、
「チワワ→小型犬→犬→哺乳類→脊椎動物→動物→生物」と
上位の概念へ広げていくことを「抽象度が上がる」というのです。
どの視点から見るかによって、判断が変わってきます。
これを算数に当てはめてみましょう。
問題集1ページに10問の問題があったとします。
抽象度の低い子は、10問とも別々の問題と思っています。
「これは、分数が出ている。これは小数あって、この問題は分数と小数があって」と。
しかし、
抽象度の高い子は、これらすべての問題は「同じ」であることが見えています。違いも認識できています。この問題は分数、この問題は小数と、表面的には違っているけれど、「やっていることは同じ」であると見えているのです。
このように、
抽象度が高い子は、上の視点から物事を見るので、
ポイントをすぐにつかんでしまいます。
いくつかの具体的問題を抽象化させて、
「ルール化」「パターン化」することが自然にできるようになると、
違う仕事や課題においても、
それまでと同じように高いパフォーマンスが発揮できるのです。
では、
どのような言葉を使うことで抽象度を上げることができるのでしょうか?
一つ目は、
です。
人は、「要するにどういうこと?」と問われると、
枝葉をそぎ落として、幹だけを選択するようになります。
つまり、
「まとめる」ということを自動的に行うようになっていきます。
先ほどの犬の令で例えるとわかりやすいでしょう。
「チワワって要するに何?」と問われれば、「犬」になります。
「犬」って要するに何?と問われれば、哺乳類、生物となりますね。
このように、
「要するに?」と問われると、抽象度が上がっていくのです。
できる子は、
自分で「要するに何?」とまとめることを勝手にやっています。
文章を読んでも「要するに何?」、
算数の問題でも「要するに何を聞いているの?」と。
「要するに?」のほかにも
「簡単に言うと?」「共通点は?」と
問いかけることも「抽象度を上げる」うえで効果的な言葉です。
5)「構造化」できるようにする魔法の言葉とは?~具体化思考の習慣化~
二つ目は、
です。
「例えば?」という言葉はよく使われる言葉で
「要するに」でまとめ上げるのとは真逆の方向です。
この言葉で問われると、人は具体的事例を引っ張り出そうとします。
実は、「例えばどういうこと?」と「要するに?」をセットで使うと、
効果は抜群です。
なぜかというと、
抽象と具体を行き来させることで考える力がさらに高まるからです。
環境問題を例に挙げましょう。
「今、地球は環境問題で苦しんでいる」という表現は抽象的です。
そこで、「例えば、どんなことがあるのかな?」と問いかけます。
すると、
「ごみの分別・収集がしっかりできていない国がある」と言います。
「他には?」と聞いてみると
「この間、クジラのお腹の中からたくさんのプラスチックが出てきた」
と言ったりします。
これらのやりとりにおいて、二つの力を身につけることができます。
一つが、
「環境」という階層から一つ下がった、同じジャンル、領域を探すことができる。という力。
もう一つが、
「ごみの分別収集」「クジラのお腹の中のプラスチック」が同じ種類、階層のものであるという認識力を身につきます。
つまり、
似たような事例を引き出せるということは、
「抽象→具体の思考」ができているということにもなりますし、
事例をどんどん引き出すことで、
さらに新しいアイディアを創出するための創造的な力もつけることができます。
このように、
「要するに?」という言葉を使うことで、
いくつかの出来事の「共通点を見つけて、ルール化、パターン化、一般化」する。
『具体→抽象』の考え方を身につけます。
これを難しい言葉で「帰納法」と言います。
また、
「例えば?」という言葉を使うことで、
難しいことを簡単に、分かりやすいものに置き換える。
『抽象→具体』の考え方を身につけます。
これを難しい言葉で「演繹法」と言います。
これらの言葉がけを続けることで
子供の心の変化が生まれていくと考えています。
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『学び』って
もともと
「なんか気になる」
「なんか面白そう」 という
知的好奇心を満たしたり、
知る楽しさを満たしたりするもので
テストでいい点を取るためでも
試験に受かるためのものでもない。
そんな何かに「没頭できる」体験を
学校でできるようにしたいと考えています。
僕は、こう思います。
学校教育の役割は、
みんな同じように能力を高め、平均点を上げることではない。
それぞれに個としての能力を高め、
自分の持ち味を自覚し、
社会の中で自分をうまく活かせる場所を見つける力を養うことだと。
極端だけど本質的なこと。
『学び』とは、知識を得ることではない。
『学び』とは、「学ぶことの意味」を知るということ。
本当に教員がやるべきことは、
「学ぶことの意味」を子供が実感できるようにすること。
これさえおさえておけば、
「勉強しろ」と言わなくても
勝手に子供自ら学び始める。
私たちが小さな灯火として
周囲の一隅を照らす。
その灯火がたくさん集まって、
国家全体を明るく照らし、
将来への希望の灯りを点すことができるようになる。
大人が輝けば、子供も輝く。
今日も子供を信じて。
今日も自分を信じて。
最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。
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