イマドキの若者が思う「褒め」の価値
文系大学生の平子です。就活中です。
本日の記事でアウトプットしたいのは👇です。
「『褒め』の価値が徐々に薄れてきているのではないか」
なぜこう思ったのか、以下から順に説明します。
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本日の日経の記事で、こんなものを見つけました。👇
〈記事要約〉
ストレスフルなコロナ社会において、人の心に癒しをもたらしてくれるのは「褒め」である。
”ふるえるとり”さんによる漫画「母ちゃんだってほめられたい」では、主婦は、子育てや家事など、毎日当たり前にこなすを完遂しても褒められることはない。一方でこなせなかった場合には咎められる。こんな状態で大切にしたいことは、他人に褒められることを期待するのではなく、自分で自分を褒めることである、という。
「褒め」をあまり表現しない日本社会ではあるが、実は密かに「褒め」に注目する動きが高まっている。
例えば「こうペンちゃん」というキャラクターは、どんな小さなことでも「褒め」を与えてくれる。教育の場面ではオンライン教育のすららネット。このサービスでは、子供を褒めるよう促す「ペアレントトレーニング」をスタートした。
日本人の英会話能力の低さは、我々の完璧主義精神に依存する部分が大きいだろう。間違いを恐れるあまり、英語を話すことに消極的になってしまっている。まずは「褒め」ることから始めて、社会を根幹から変えていこう。
そしてこの記事を読んだとき、👇のツイートを見たのを思い出しました。
何が言いたいかというと、確かに褒められることは気持ちがいいしヤリガイに繋がる大きな要因だというのは人間に共通することだが、「褒め」に対する考え方はイマの大人と若者とでは少し乖離している、ということです。
なぜこう考えるかというと、昔の教育は所謂スパルタであまり褒められることがなかった社会だったと思います。
しかし今の若者は褒められることが当たり前の環境で育ってきたので、褒めてほしいというより”怒られるのが怖い”という気持ちの方が強い。
僕が小さい時の頭の中を少し覗いてみましょう。『平子は世の中を知らない子供だから失敗することは当たり前だし、ちょっとねだればいくらでもやり直しがきく。言われたことを言われた通りにすれば誰でも褒めてくれるし、希望すればすべて思い通りにいく』。
もちろんいけないことをした場合にはひどく怒られましたが、それ以外はとにかく怒られることがなく、比率で言うと、称賛:叱咤=8:2。
このような少年時代から形成された若者は怒られ慣れていない(慣れるものでもないが)ので、怒られることにひどく怯えています。だからちょっとしたことでパワハラだと嘆くし、上司はビビって的確な指導ができないという、誰も得しない状態に。
よって、過去と今では若いうちの「褒められ・怒られ」の経験値の差でそれぞれの価値にも大きな差が生まれてしまっています。したがって教育の場面では、個人に適切な量の「称賛・叱咤」を与える必要があると思います。教育の難しさたるや...。
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ps.
ちょこっとカッコよさげに書いたけど内容は誰もが知ってるようなものだな...もっと価値のある文章を書けるようになるぞ...!
あ、ちなみに僕は甘ったれた環境で育ったからこそもっと怒られたいと思ってしまう質です。自分に能力がないことは明白なので、どんどん指摘していただかないと成長が見込めない...。それで自分で背負い込みすぎて仕事辞めちゃう、というバッドエンドにならなければいいが...笑(い事じゃない)