年上の先輩に可愛がってもらうには…

先日、動画編集を副業としてやられている方に会いました。おっしゃるに、動画編集のスキルが上がるにつれて、YouTubeなどを見ていて、この投稿者は編集を自分でやっているだとか、YouTuberとしての収入だとかが見えるようになってきたそうです。
言われてみればそうなのかもしれませんが、話を聞いて、改めて気づいたこと。

今日の気づき(2021年4月11日)

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動画編集のスキルがあがるにしたがって、相手の現状が見えるようになってきたということは、

抽象的なみかたをすれば、
年上や先輩たちは、後輩や自分よりも若い人たちの様子を見ながら、今こいつはこういう状態なんだろうなと見えていることになりそうです。

しかもそれは、経験豊富で成果を出されている先輩たちは、より顕著に、「相手の現在地」が見えるのでしょう。一部の天才型、感覚型を除いて、自分はこうやって成果を出したというのが体系的に見えている人が多いはずなので。

ということは、先輩から見れば、後輩ががむしゃらに頑張っているのかどうか、頑張っているけど、方向が違う
逆に、口だけは達者だが真剣にやっていない、器用にこなしつつも手を抜いている、などのことは手に取るように分かることになるのでしょう。

よく聞くところによると、スポーツ観戦や甲子園などを好きな人は、頑張っている姿に感動するというようなことを言われます。

頑張っている姿が人を引きつけるというのなら、
先輩や年上の人たちから目にかけてもらうためには、がむしゃらにやっているという姿が相手に見えないといけないのではないか。
いや、そんなことを打算的に考える暇もないほどに、がむしゃらにやっている姿が、先輩を引きつけるのかもしれない。

塾講師として教えていると、同じことが言えることにここまで書いてきて思い至ります。
やっぱり頑張っている生徒には、より時間を割いてしっかり教えたいと思ってしまいます。
斜に構えて、まあ勉強なんてどっちでもいいんですよ、親にやらされてるだけなんで、なんて考えていそうな生徒には、プロとしてよくないのかもしれませんが、必要最低限の指導にとどめてしまう。これ以上言っても、伝わらないばかりか、生徒に嫌われるだけだし、それがために退塾なんてされたら元も子もないし… なんて。 

おじいちゃんやおばあちゃんが優しいのは、同じことなのかも。
一周りも二周りも年下の人たちから、ほとんどタメ語ともいうような崩れた敬語で話されたり、ときに明らかにイライラが感じられるような言葉遣いをされても、ニコニコしながら、むしろ、いつもありがとう、なんて。
このくらいの年のころには私もそうだったからなぁ、と達観していないと無理な芸当に思えます。

年上や先輩に好かれよう、同期のあいつはいつも先輩に可愛がられてるけど僕とどう違うんだろう、なんて打算的なこと考える必要はなくて、ただもうがむしゃらに頑張る。そうすれば、きっと先輩に限らず、周りの人たちからきっと目にかけてもらえるのではないか。

■■今日の教訓(ポイント)■■

経験豊富な人たちには、自分の現状は筒抜けである。

だから、恥ずかしいと思うことを隠そうとするだけ無駄だし、むしろ、ありのままにがむしゃらに頑張る。

そうすれば、自然と、目にかけてくれる人が現れるのではないか。

■■以上■■

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