【No.1085】かすかな声を無視しちゃいないだろうか。
娘と散歩へ行きました。
車の走らない静かな道を歩いていると、虫の音が聞こえます。とても小さな音で、蝉の声より、いつの間にか秋の虫の声が強く聞こえるようになっていて、鈴虫なのか、それ以外の虫なのかは分かりませんが、虫の声が聞こえ、他にも、バッタがジャンプするような音や、風の音が聞こえます。
いつもは大きな音にかき消されるかすかな声や音にも耳を傾けるといいかもしれません。
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例えば料理にしても、いつもは調味料や砂糖で大味なものが多いです。洋食や中華もそうですね。ただ、和食には「素材の味」と言うように、濃くなくても美味しさを感じられる舌が日本人にはもともとあるはずです。しかし、砂糖やその他の調味料など大味があれば、僕はそちらを好んで食べてしまいます。
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そう考えると、感情についても大きな感情は目立ちやすいですね。嬉しいという良い感情や、イライラといった負の感情が目立ちます。ポジティブな感情は頻度が多くない場合があり、その結果、負の感情が強く意識されることが多いです。しかし、大きな感情に見えづらくされている小さな感情も当然あるはずで、そういった感情にも注意を払う必要があると思います。
感受性が失われるというか、実際は、楽しい、嬉しい、イライラ、悲しい、不安といった大きな感情の影にも、じんわりしんみり幸せを感じたり、もやもやしていたり、そういうかすかな感情があるはずです。
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古文には「をかし」「あはれ」という言葉がありますが、学校ではどちらも「趣深い」と教えられます。ただ、ニュアンスが少し違っていて、「をかし」は「いいね!」「すごい!」という感じで、「あはれ」は「じーんと、しみじみ、いいなぁ」という感じの趣き深さだったり心地よさみたいなのを表す言葉です。
また、「あはれ」という言葉は「源氏物語」でよく見られ、江戸時代に国学を大成した本居宣長(もとおりのりなが)は、「もののあはれ」という言葉を残しています。日本人は「あはれ」への感受性が豊かだとされています。
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細かなニュアンスについては専門家からは指摘される点も多いかもしれませんが、
書きたいことのポイントとしては、日本人にはもともとかすかな感情への感受性が備わっていて、そのように「思い込み」をしても良さそうです。
(ただし、外国人は感受性が乏しいという対比関係を作りたいという意図はありません。絶対評価としての「日本人」です。あしからず)
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戦後を代表する詩人、茨木のり子さんが「自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」という詩を書いていました。
かすかな声に耳を傾け、大味ばかりでなく、素材の味や感受性も大切にしていきたいと思います。また、散歩しよう。