コーカイ日記19
6/18
晴れ。27℃。
インプットが無いので書き出すこともさほどない。
よく働いたのでよく休む。明日もまた働くので無理しない。そうやって続く。そうやって続くことが大事。どうやって繋ぐか。どうやって食いつなぐか。あるいはどこで断ち切るか。
ふとゼミの先生が話していたことを思い出す。専門はイギリス産業革命期の経済分析、社会的変化についてだった。歴史の断絶性と連続性をどう捉えるか、という話をしていた。ある点から見ると革命期に決定的な断絶を見てとることもできるが、別の視点からは連続性を指摘することも可能だということ。これは言い換えればテクスト解釈の可能性の話であり、歴史というものが本質的に解釈可能性に開かれているが故の困難と面白さを示している。注意すべき点は修正主義的にテクストを無視してあらゆる方向に好き勝手に展開できるわけではないということ。あくまでテクストに沿って展開される解釈であることが重要だ。テクストの意味を最大限まで拡大し、編まれたもの、あらゆる"読めるもの"とすると、これは個人の人生や細胞分列、地球史、あるいは空気の微細な振動、色彩の知覚、など解釈可能性に満ちたものたちの至るところに断絶と連続を見てとることができることになる。僕の生にもそうした断絶と連続が張り巡らされており、どの点において断絶しており、どの点において連続しているのか分析することが作品をつくる上で大事になってるかもしれない、という分かったような分からないようなことを書きつけて今日の日記を終える。了。