「聴く」ことは、だれでもできる心の手当
ずいぶん前になりますが、妹と墓参りに行きました。
ご住職に毎回渡すお布施?を今回は自分が水桶を借りてくるから
代わりにお住職にご挨拶してそしてお布施を渡してくれと妹に言ったら妹が言う
「あたしは女だから駄目、おじちゃんが持っていって。」
と言う。
「なんで?」と聞けば「昔からそうなんだもん。」と妹は答える。
それがきっかけで色々ネットや本で調べてみた。
色々学ぶうちにこの社会がいかに男性優位にできているか
男性優先の考え方とそれを当たり前だという固定観念が根深く浸透していることがわかりました、男性にでも女性にでも。この社会は基本男性が快適に過ごすようにできているらしいこと。女性は、女性はよく我慢してきたものだと思う。命がけの出産をしてさらに育児家事をこなしても神道仏教からは汚れとか不浄な存在とされていた女性たち。
この男性優位の価値観は仏教儒教における男尊女卑の教えや、律令制から封建制にかけて父子関係を優先する「家」が成立するのと同時に生まれた家父長制、そして明治になってからの富国強兵政策などでさらに補強されてきたらしいです。
ワタシの父親のように昭和4年に長男として生まれた男性は、これはもうすごいワガママ、ワタシは幼い頃から父親のどす黒いエゴイズムのようなものを感じていました。もちろん父親当人には家父長制が何であるのかとかの知識はもちろん自覚など微塵もなかったのです。ワタシの父の世代はそれが一般的だったのだろうけれど、今までワタシが出会ったほぼ同世代の人たちの中にも、育った環境により自分のエゴイズムに無自覚な人がいることも体験的に知っています。
誰彼かまわず相手に母親の役目を求める人、マザコンていうんでしょうか?
自分の気持ちは相手にすべて理解してもらえるのが当然とおもっている人、ワタシから見ると羨ましいくらいにワガママを許されて育ったのだなと思える人・・・少子化のためか一人っ子で育った人に多いように感じます。そんな幸せに育った人がワタシには羨ましいと思われるのです。ワタシにとって地獄は子供の頃の茶の間にありました。
⇓ 昔書いた日記です。
『あるACのひとり語り』
.
昭和4年生まれの父親は長男明治生まれの祖母は典型的な家父長主義
よって長男を甘やかして育った典型的なマザコンのへらへら男
よってなかなか結婚相手がいなかった
母親は生活力のある職業婦人だったが当然同居している祖母とは馬があわず
その祖母に自分を預ける形で仕事に出かけた。
母親が大嫌いな祖母は母親の出勤を見送る時抱っこしていた幼児の自分に言っていたらしい
「Kちゃん(自分の名)、さあ、お母さんなんか大嫌いって言ってごらん」
そんな祖母はでもじぶんは初孫なので溺愛してくれた。自分もおばあちゃん子として育っていった。
表面的には祖母と母親父親から溺愛されて育っているように見えたらしい。
不幸なことに家庭にいる二人の女性の関係は慢性的に悪化。普段一緒にいられない母親は祖母がいないときは幼稚園に上がる前の自分に祖母の悪口、父親は相変わらずへらへら吾関せず。
子犬を飼っていた大好きだった。ある日その子犬が隣家のサンダルか何かを噛んでトラブルになったらしい。それを解決するためにその子犬を捨てることになった。父親が犬を捨てに行った。三歳の自分は抗議も反対もも出来なかった、父親が子犬を自転車の荷台に載せて遠ざかるのを無言で見送った。その子犬がいなくなった夜自分は布団のなかでただ涙を流した両親には知られないように、声をださずに。
そして何十年か過ぎ祖母も死に、母親が癌であることがわかり末期状態となった。
↑のエピソードを話した、母親は言った、お前何でその時大声でで泣かなかったのか、と。
小学生の低学年の時お小遣いやお年玉をためては母親にオルゴール付きのフランス人形をプレゼントした。母親は喜んでタンスの上にそれを飾った。何日かしてそれがないことに自分は気づいて母親に問うと引き出しから小さな宝石箱を出して見せて曰くあの人形は自分は大変気に入ったけれど自分はこの宝石箱の方が好きだったのでお店に人形を返品してこっちと交換して貰った。
フランス人形は目立って祖母の嫉妬を買ったらしい
末期がんでモルヒネを処方されるようになったた母親がある日私をベッドの枕元に呼んだ、
何かとお思えば、聞きもしないのに泣きながら言った
あたしは無知だったあたしは無知だった
自分は何も言い返さなかった。
母親は3年前に死に、父親は母親の看護日記を書いてそれなりに評判になっていたが
相変わらず心理的距離は遠い。
自分はまだ未婚。
.
本日あるイベント会場でその存在を知った社団法人『COPぐんま』
この『CAPぐんま』のブースでスタッフの方とお話をしました。
初対面のスタッフさんに思い切って話したこと(少しだけならFacebookの日記にも書いたことはありますが)
「ワタシは家族や親子関係には何の期待も持てないんです。」
「子供の頃の茶の間に地獄がありました。」
さすが、スタッフの方は優しく共感を持って聞いてくださいました。
後でパンフを読んでみました、その中に
「聴く」ことは、だれでもできる心の手当
という言葉が書いてありました。
ほんとにそう思いました。先の2行の言葉はいつも頭の中にあって
そして言葉にできないものでした。
本当に心の手当になりますね、聞いてうなずいてもらうだけなのに。
本来ならこの言葉は父親に言うべき言葉なのかも知れません。
でももうすぐ95歳の父親には黙っていようと思います。
過去は変えようはないのですから。
でも今回「聞いてあげる」ことのすばらしさがわかったような気がします。
同じようなことをワタシも他の人に、子どもたちにしてあげられたらと思うのです。
「聴く」ことは、だれでもできる心の手当
大切にしたい言葉です。
『CAPぐんま』
https://www.instagram.com/cap_gunma