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花むけの言葉をあなたに
授業中、先生にあてられた。
五年生の算数、立方体の体積の問題。
そうっと周りを見ると、みんな魂が抜けている。
ちんぷんかんぷんといった表情。
まあ本当は分かるけど、目立ちたくないしなあ。
渋々立ちながら、いつものように『分かりません。』と言おうとした。
すると、言葉の代わりに手からぽろぽろと出たのは、小さくてピンクの花だった。口をパクパクさせても声が出ない。
「うわっ。」
と言う周りの子たち。先生も絶句。私も突然の事態に驚いて固まったまま直立。一瞬静まり返る教室。
ややあって先生から、
「こ、こういう時は、とりあえず保健室だ!」
と言われ、私は保健室へ行った。
「どうしたの~?」
と聞く保健室の先生も、説明しようとして手から白いバラのような花を零す私を見て、信じられないものを見るように、口をあんぐり開き、目をまん丸にしていた。
「と、とにかく病院に行った方がいいわ。」
慌てた様子でお母さんに連絡する保健室の先生。
「華子さんが何故か手から花を・・・。」
と、しどろもどろながら伝えている。
私はマジシャンか。
先生もこの状況を何と言ったらいいのか分からないみたい。
すっ飛んできてくれた母に連れられて病院へ向かった。
レントゲンや血液検査など、難しい検査をいっぱいしたけれど、おかしい所は見つからなかった。
お医者さんからは、
「精神的なことですかね・・・。ほら、今思春期ですし・・・。」
とはっきりしない答えしか言われなかった。
お医者さんもお手上げってこと?ずっとこのままだったらどうしよう…という不安で胸がいっぱいになる。
家に帰り、リビングで頭を抱えているお母さんを尻目に、二階の自分の部屋に篭もり、この状況について考える。
別に体調が悪いわけでも体の中に花が詰まっている感じもない。元気だと思う。
でも、話そうとしたら手から花が零れてしまう。
最初はピンクの花。次は白い花。
あれ、手から出る花が変わってる?なぜだ。
制服のポケットから今日出た花を取り出して詳しく調べることにした。
小さくてピンクの花は“芝桜”で、花言葉は『臆病』。白いバラのような花は“クリスマスローズ”で、花言葉は『不安を和らげて欲しい』か。今の気持ちを言おうとした。
すると手から黄色い花があふれ出す。
調べると、この花の名前は“マリーゴールド”で、花言葉は『絶望』
―どうやら、話そうとすると、その時の気持ちや言いたいことに合った花言葉の花が手から出てしまうみたい。
『もともとそんなに誰とも喋ってなかったけど、もう絶対に喋らないでおこう。』
クラス替えして一か月。まだ友だちができない。
友だちがいない人って思われたくなくて、一人でも平気って顔をしていた。
そして、できるだけ目立たないようにしてきたのに。最悪だ。
『手から花出す変なやつ』って明日からいじめられたらどうしよう。
学校に行きたくないなあ・・・。
***
次の日、いやいやながら学校に行くと、案の定何人かの子が寄ってきて、
「なあ、昨日の何だったの?」
「手品?あれ面白かったな~!」
「もう一回出してみて!」
と興味津々な様子で言ってきた。
恥ずかしくて頬がかあっと赤くなる。
だから学校に来たくなかったのに。
涙までこぼれそうになって、何も言えず俯いてしまったその時、
「華子さん、しんどかったよな。お前らも面白がるなよ。」
と誰かが声を掛けてくれた。
―太郎君だ。いつも明るくてクラスの中心にいて、なんだか私とは住む世界が違う人。
全然話したことないのに、私のことを助けてくれた。
誰にでも分け隔てなく優しい太郎君。
太郎君に『ありがとう。』と言おうとして辞めた。
また、花が出てきたら大変だ。
丁度、先生が入ってきたから太郎君に急いでぺこっと会釈して席に着いた。
それから、皆つかず離れずで接してくれた。
何も喋らない私を責めることもないし、面白がってからかうこともない。
もしかしたら太郎君が何か言ってくれたのかもしれない。あれから、なんとなく太郎君を目で追ってしまう。
『友だちになって』なんておこがましくて言えないけれど、せめて『ありがとう』は伝えたい。そう思い、太郎君への感謝の思いをしたためた手紙を書いてみたが、引き出しからなかなか出せずにいる。
***
ある日の朝の会で、
「太郎が、家庭の事情で○○小学校に転校することになった。突然のことだが、今月いっぱいで太郎とはお別れだ。」
と先生が皆に言った。
「ええ~?」「そんなの嫌!」「太郎が居なくなったら寂しいわ~。」
と周りの子たちが口々に言う中、私も人知れず心底ショックを受けていた。
太郎君を見ると、
「俺も寂しいなあ。」
と言いながら苦笑いをしていた。
どうしよう、私、まだ『ありがとう』って言えてない。
今月いっぱいということは・・・あと2週間しかない。
なんとかしてそれまでに伝えなくちゃ。
そう思い、ポケットに手紙を入れて渡す機会をうかがうが、人気者の太郎君はいつも誰かと一緒にいる。
人に手紙を渡すところを見られたら、『え、それラブレター?』って言われてしまうかもしれない。
靴箱か引き出しにこっそり入れようかな。
いや、どうせなら直接渡したい。
なんて、ぐるぐる悩み続ける内にあっという間に時は過ぎ、遂に転校する前日になってしまった。
『あーあ、今日も渡せなかったな。』と、とぼとぼしながら歩いて習い事から帰っていた。
しかし、奇跡が起きたのだ。
なんと、何気なく通りがかった公園に太郎君が一人で座っていた。
ブランコに座って、何やら俯いて考えごとをしている様子。
話しかけちゃ悪いかな。
―でもチャンスは今しかない!
勇気を振り絞って、恐る恐る太郎君の目の前に立った。
「おお。」
私に気付いて太郎君は「よっ」と笑顔で手を上げてくれた。
そして、
「華子さん、せっかくだからちょっと話そうよ。」
と言って隣のブランコを指さした。
なんだかどぎまぎしながらブランコに腰掛ける。
すると太郎君がぽつぽつと話し始めた。
「俺、正直転校したくないんだよね。皆とずっと一緒にいたいし。新しい家族で暮らすのも、ちょっと嫌なんだ。」
いつも爽やかに笑っている太郎君からは想像がつかないほど弱弱しい声。
太郎君には、お母さんしかいないって聞いたことがある。
新しい家族ってどういうことだろう?
心配でおろおろした表情の私を見て、
「なんでこんなこと話しちゃったんだろ。ごめんね。もう暗くなるし帰ろうか。」
とぎこちなく笑い、立ち上がった太郎君。
私は、『待って』と太郎君へ伸ばし掛けた手を引っ込める。
どうせ私、何も言えない。
ああ、こんな時に言葉が出ればいいのに。
太郎君は私のこと助けてくれたのに、私は慰めの言葉すら掛けることができない。
きっと臆病な私に罰が当たったんだ。
『君には言葉なんて必要ないでしょ』って神様が取り上げちゃったんだ。
そんな自分が恨めしくて不甲斐なくて、唇をぎゅっと噛みしめた。
家に帰り着き、がっかりした気持ちのまま部屋のベッドに倒れこむ。
うつ伏せのまま顔を横に向ける。
すると、ふと部屋にある花の置物が目に入った。
ピアノの先生からコンクール前に貰った置物。
一言、「頑張って!」というメッセージが書いてある。
あがり症の私も、そのメッセージを見てコンクールを最後まで弾ききることができた。
それから私の中でお守りのようになっていて、緊張するときや学校に行きたくない時は、置物のメッセージを見るようにしている。
その一言に何度も何度も励まされてきた。
言葉の力ってすごい。
・・・すると、神様から与えられたように、突然一つの考えが私の頭の中に浮かんだ。
『―そうだ。私にしかできないことがあるじゃないか。花束を贈ろう。あなたが笑顔になれるような花言葉の花で。』
***
ついに迎えた太郎君と過ごす最後の日。
「皆、今までありがとう。」
と涙目になりながら黒板の前で挨拶をしている太郎君。
皆も先生も泣いている。
私は泣きたい気持ちを必死に堪える。
―よし、今だ。行こう。
私は勇気を振り絞って太郎君の前に立った。
突然のことに、皆も先生も太郎君も、きょとんとしたような顔で私を見ている。
心臓が早鐘を打つ。
でも、伝えるんだ。
「た・ろ・う・く・ん。あ・り・が・と・う。こ・れ・か・ら・も・が・ん・ば・っ・て。」
と言葉の形に口を開く。
すると、パステルカラーのスイートピー。黄色いガーベラ。白く繊細なカスミソウ・・・色とりどりの花が両手から零れる。
やっぱり言葉は出なかった。
でも、太郎君には私の気持ちが伝わったみたい。
「華子さん、こちらこそありがとう。お互いに頑張ろうね。」
クラスの皆からの拍手。
太郎君も満面の笑みだ。
良かった。花をリボンできゅっと結んで花束にする。震える手で手紙と花束を太郎君へ渡した。
『餞の言葉であなたが少しでも救われますように。不安な毎日を乗り越えられますように。』そんな精一杯の願いをこめて贈った。