「手」を感じるご飯
一人暮らし。
仕事が終わったあと、冷たいコンビニご飯を黙々と食べる。
…味気ない。
詰め込むだけの惰性飯。
作った人の「手」が思い浮かばないような食事。
そんな時、昔のことを思い出す。
*
小学生の時、
母に1000円を渡された。
「これで何か食べて来て。」
お金を渡されたのは初めてで、不安で胸がぎゅっと掴まれたような気持ちになった。
「どうしよう…?」
母は、父と喧嘩するといつもそう。
ご飯を作らなくなる。
食卓に並ぶのは、
レトルト食品、菓子パン、即席ラーメン。
ご飯の時間は全然楽しみではなかった。
まだ未就学児の弟の手を引き、外に出て、
幼い頭で一生懸命考える。
コンビニは遠いし(田舎なので)、ご飯が食べれるところといえば…
そう言えば、近くに小さな定食屋さんがあった。
*
2人でおっかなびっくりお店に入った。
夜、小さな子どもたちだけ。お店にいた人たちも驚いただろう。
労働を終えた方達で賑わう中で、
「いらっしゃいませ」
と女性が色々話しかけてくれながら、ゆっくり席に連れて行ってくれた。
メニューを見ても漢字が読めないから、女性が一緒に読んでくださった。
一つ一つ指さしてくれるのをじっと見つめる。
「チキンカツ、生姜焼き、スタミナ定食…。」
お気に入りの絵本を思い出した。
その絵本は、小さなころの私には夢みたいだった。
食べるものを選ぶ自由、大好きなものだけを詰め込んだ子どもだけの理想のご飯。
その夢が今叶う、と思った。
何を選んでもいいんだ!とわくわくした。
悩んで、チキンカツ定食とうどんを頼んだ。
今でも忘れられない。
普段は怒られるけど、サクサクのチキンカツにソースをたっぷりつけて食べた。
ソースで少し柔らかくなった衣とお肉の脂の組み合わせが最高。
ほかほかの白ご飯。
菓子パンには無い、体に染み込むような温かさ。
うどんの上にはふわふわ甘い卵がのっていて優しい味。即席ラーメンとは違う。
七味をかけてピリリと少し辛味をたす。
うどんもチキンカツ定食も弟と半分こ。
夢中になって食べた。
不安でいっぱいだったのが嘘みたいに、
食べ終わる頃にはすっかり元気になっていた。
お会計で恐る恐る1000円札を渡した。
しわしわで、でもつるんとした手が私の手にそっとお釣りを載せる。じんわりと温かみが伝わってくる。
この手からこのご飯は生み出されたのだ。
嬉しくて、自分でお金を払ったことが何だか誇らしくて。
*
今は自由に色々なものを食べられる。
しかし、あの時のあの味が忘れられないのだ。
温かいご飯のありがたさ。
家庭的で優しい味。
『美しい手は信用ができる。』
と、料理家の土井善晴先生も仰っていた。
あの、しわしわだけどつるんとした、不思議な美しさを持つ「手」で作られたご飯。
あれこそ私の元気が出る食事なのだ。
”誰かの「手」によって作られているご飯には、パワーが込められている。”
「手」を感じるご飯を求め、
今でも私は一人で定食屋さんに行く。