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「手」を感じるご飯

一人暮らし。
仕事が終わったあと、冷たいコンビニご飯を黙々と食べる。
…味気ない。
詰め込むだけの惰性飯。
作った人の「手」が思い浮かばないような食事。
そんな時、昔のことを思い出す。

小学生の時、
母に1000円を渡された。
「これで何か食べて来て。」
お金を渡されたのは初めてで、不安で胸がぎゅっと掴まれたような気持ちになった。
「どうしよう…?」



母は、父と喧嘩するといつもそう。
ご飯を作らなくなる。
食卓に並ぶのは、
レトルト食品、菓子パン、即席ラーメン。
ご飯の時間は全然楽しみではなかった。



まだ未就学児の弟の手を引き、外に出て、
幼い頭で一生懸命考える。
コンビニは遠いし(田舎なので)、ご飯が食べれるところといえば…
そう言えば、近くに小さな定食屋さんがあった。



2人でおっかなびっくりお店に入った。
夜、小さな子どもたちだけ。お店にいた人たちも驚いただろう。
労働を終えた方達で賑わう中で、
「いらっしゃいませ」
と女性が色々話しかけてくれながら、ゆっくり席に連れて行ってくれた。

メニューを見ても漢字が読めないから、女性が一緒に読んでくださった。
一つ一つ指さしてくれるのをじっと見つめる。
「チキンカツ、生姜焼き、スタミナ定食…。」

お気に入りの絵本を思い出した。

おうちで一番の早起きをした ともこ。
自分でお着換えもできてあとはお腹が空いてきたので朝ごはんを・・・。
お父さんとお母さんはねぼけまなこで、
やっと出てきたご飯は黒焦げ。
そうだ!自分で作り直してみよう!
と思いついた ともこ は、宝石のように輝くキャンディ、バターたっぷりのクッキーを上機嫌で引っ張り出して来ます。
とっておきの自分だけの朝ごはんの出来上がりです。

「ともこのあさごはん」ばんどう ゆみこ

その絵本は、小さなころの私には夢みたいだった。
食べるものを選ぶ自由、大好きなものだけを詰め込んだ子どもだけの理想のご飯。

その夢が今叶う、と思った。
何を選んでもいいんだ!とわくわくした。
悩んで、チキンカツ定食とうどんを頼んだ。

今でも忘れられない。
普段は怒られるけど、サクサクのチキンカツにソースをたっぷりつけて食べた。
ソースで少し柔らかくなった衣とお肉の脂の組み合わせが最高。
ほかほかの白ご飯。
菓子パンには無い、体に染み込むような温かさ。
うどんの上にはふわふわ甘い卵がのっていて優しい味。即席ラーメンとは違う。
七味をかけてピリリと少し辛味をたす。
うどんもチキンカツ定食も弟と半分こ。
夢中になって食べた。
不安でいっぱいだったのが嘘みたいに、
食べ終わる頃にはすっかり元気になっていた。

お会計で恐る恐る1000円札を渡した。
しわしわで、でもつるんとした手が私の手にそっとお釣りを載せる。じんわりと温かみが伝わってくる。
この手からこのご飯は生み出されたのだ。
嬉しくて、自分でお金を払ったことが何だか誇らしくて。



今は自由に色々なものを食べられる。
しかし、あの時のあの味が忘れられないのだ。
温かいご飯のありがたさ。
家庭的で優しい味。
『美しい手は信用ができる。』
と、料理家の土井善晴先生も仰っていた。
あの、しわしわだけどつるんとした、不思議な美しさを持つ「手」で作られたご飯。
あれこそ私の元気が出る食事なのだ。

”誰かの「手」によって作られているご飯には、パワーが込められている。”

「手」を感じるご飯を求め、
今でも私は一人で定食屋さんに行く。


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