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別離の段取りをしながら共に居る

大学の頃から近しい友人のはずなのに、いまだにうまく話せない人が居る。
何人か居ると、とびきり楽しい。
二人で居ると、どことなく息が詰まる。
その人と上手くやれない私が悪いのかなと思っていた。
でも、よくよく考えてみれば、一緒に居ると話が弾んで、時間を忘れてしまうような友だちだって居る。
私が壊滅的に人とコミュニケーションが取れない訳ではないということ。

ああ、単に、相性が合わないのだ。
そのことに10年も気付けなかった。
じゃあ仕方ないか。
苦痛なら距離を置かないとな。
その人も私も悪い訳ではないのに、自分や相手を責める結果になったら悲しいから。
周り回って、いつか、気の置けない仲になれればいいな。



最近、『さよなら、プロポーズ』という恋愛リアリティ番組を観た。
婚約までしたものの、入籍を先延ばししているカップルが、7日間の旅で「結婚するか/別れるか」を選択するという内容。
その中で登場した、あるカップルについて、度し難い相性やタイミングがあることを知った。

お互い好き同士なのに、喧嘩ばかり。
片方は、二人の間に男女としてのトキメキを求め、もう片方は、長く付き合ったからこそ安定した関係に変わっているのだと考えている。
自らの正当性を主張し、なぜ相手が変わってくれないのか詰る。
どちらの言い分も頷けるのに、互いに寄り添うことができない。
これは、何を重視するかという、絶対に譲れない価値観の相違だなと感じた。
別れればいいのに、という単純な言葉で終わらせることもできない難しい問題だ。

どんな出会いも、別れまでの準備期間だと思う。
上記の友人ともそう。
彼ともそう。
でも彼とは少しでも長く一緒に居られるように、互いへの気持ちは移り行けども、新しい関係性を結び直していけるように努力していきたい。

別れは、当然訪れることであるのだから、自分や相手が悪いという訳ではない。
さよならの方法を学びながら、別れの言葉を選び続けながら、共に居よう。

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