ゴーギャンの妻(9)[小説]
「いい?ヒロちゃん、電気消すと綺麗でしょ?クリスマスツリーとケーキの蝋燭も・・・・ほら弘ちゃんが蝋燭をふーっとやって消してごらん。」と寺井さんのママが言った。
言われるままに吹き消すとますます部屋が電飾でクリスマスの雰囲気になった。ケーキが切りわけられ、鶏のから揚げといっしょに食べた記憶は強烈で、食後に寺井さんのパパが外国の風景などのスライドショーをやってくれたのだが、その1枚1枚を鮮明に憶えている。まだ普通の家にまともなカラーテレビはなかったから鮮烈な色彩は「スライド」という機械のある家でしか観られなかった。
(外国の町並みは色がすごかったなあ・・・)
・・・・ハッと気づくと、もう降りる駅を電車が出るところで、うっかり乗り越すところだった。楽しい時間はすぐに経つ。もう僕はあんな楽しい時たちに会えないのだろうか?
だがとても良いことが自然に訪れた。叔母が見合いで中学教師に嫁いだのだが、その部屋が高校生である僕の部屋となったことだ。
家中で一番日当たりの良いその部屋には、ステレオとクラッシックのLPレコードがたくさん、これらの多くは、色白ですらりと背が高かった叔母にご執心の,大学の男子同窓生からの送りものであって、彼には気の毒なことに叔母はLPレコードを開封もしていない。
そこで僕は,たった1枚「チゴイネルワイゼン」という帯のついたレコードだけを開封して聴いた。1度テレビで聴いてすごい曲だなあ、演奏も凄いし、と思っていた。他の誰でも曲名や作曲者を知っている交響楽はどうせ眠たくなるだけなので未開封のまま埃をかぶっている。高2になってキングクリムゾンという英国のバンドの「フラクチャー」というインストゥルメンタル曲を聴いたとき「これ、構成がチゴイネルワイゼンに似てる。」と思った。
前半が情熱的なスローテンポで始まり,後半はものすごく速いテンポで圧倒的な演奏力をつきつけてくる。何度も何度も聴いた。画集もいくつかあり、こっちのほうは叔母はパラパラとめくってポイという感じだった。
平均的庶民であった高杉家にしては結構教養になるものたちがあった。
日本文学全集、
中世の歴史全23巻、
原色世界百科事典13巻、
日本文学と中世の歴史は父が出ていくときに置いていったものだろう。よくよく考えてみると意外なことだ。僕は僕の知らない父親の内面を覗いた気がした。
僕はまず画集に興味をもち、絵の作者と題名を知った。叔母は僕が画集を見ることを嫌がっていて、「弘ちゃんはそれは見ちゃだめよ。女の人の裸がたくさん出てるからね。」と言っていたが、高校生だもの、そんなことをいわれるとかえって見てしまうよ。
(これは美術室に貼ってあるのだな、ゴッホとかシスレーとかだ。「真夜中のカフェテラス」や「アルルの跳ね橋」は良いなあ。でもシスレーの絵ってなんでいつも洪水なんだろう?)
ある絵のところでページをめくる手が止まった。
>続く
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