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好きな音楽から距離をおいていたときの話

今でこそヴィジュアル系を聴きまくっているが、一時期、距離をおいていたことがある。
社会人になってからの話だが、もちろんこの時期はライブにも全く行っていなかった。

嫌いになったわけではなかった。
このときも、ちゃんと好きであったことは明白だ。

…ヴィジュアル系は、私の救いであると同時に希望であり、課題である。


「いつか、ヴィジュアル系という文化に少しでも貢献できる人になりたい。」


私の人生の大きな課題だ。
この課題であり希望が、私をヴィジュアル系から遠ざけていた。

壮大な課題をこなすべく、社会人数年目の私は突っ走っていた。

…しばらくの間、目の前にあるものにがむしゃらに向かっていたら、自然と好きな音楽が聴けなくなっていた。

自分が頑張っていることが、人生の課題に対する正しい向き合い方なのかが、不安になってしまうからだ。
逆に遠ざかってしまっているように感じて、直視できなかったのだ。

救いであるはずのものがこうなってしまうと、もはや元も子もない…。

そんな状態が続いて数年。
この間に全く聴かなかったわけではないのだが、進んでヴィジュアル系を一生懸命聴くことはなかったように思う。

もう疲れたな、もう色々と放り投げてしまおうかな…と思い始めた頃。
仮に明日で人生が終わってしまうとしたら、やり残したことはないか、考えてみた。

「キズのライブ行くまでは、死にきれないかも」

キズを知ったのは社会人になる前。
SNSでうっすら活躍を追っていた。
コロナ禍に発表された、来夢さんの単独公演「迫害」を見て、コロナが落ちついたらライブに行ってみたいなと思っていたことを思い出した。

…そう思い出した途端、まだ放り出してはいけないと、正気に戻った。
まだ、もう少し頑張らなければと思った。

そんなこんなで、私は職を変え、今に至る。
書きながら、端折りすぎ?とも思ったが、
でも、正気に戻ってからの私は行動が早かった。笑

もちろん、その後キズのライブに行った。
ライブでもしっかり私は救われた。

生きてるってこういうことだ、と改めて実感したのだった。
ライブ後にビールを一気飲みしては、何度も反芻していた。

ライブハウスの画像
生き返った場所


今も、壮大な課題に変更はないが、当時の不健康な向き合い方と比較すると、比較的健康的な向き合い方ができているのではないかと思う。
(そう言い聞かせているわけではないと、信じたい。)

課題に関してはかなり長期的な話なので、今後も時折noteで触れる機会があるかもしれない。

今日のBGM

当時を思い出しながら、無音で。
(こんなことも稀にあります 笑)

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