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グラレコを学ぶとは、○○○○○すること。
グラレコを学ぶとは、リサイクルすること。「ニューロンのリサイクル仮説」のお話です。
グラレコを学ぶのは難しい。よく聞く話ですが本当にそうでしょうか。
プラトンの問題
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「人間は経験できることが非常に限られているのに、なぜ経験したこと以上のことを知ることができるのだろうか」との疑問
プラトンの問題というものがある。ヒトが母語を完璧に学ぶ時、環境的・言語的刺激は限られている。しかし、創造的で豊かな内容を持つ言語知識を獲得する。それはなぜかという問い。
未学習な状態は真っ白な白紙と同じと考えていませんか。子どもに母語である日本語を教えるのに一番影響するのは養父母、保護者です。しかし、彼らの教師としての能力は千差万別。しかし、障害などがなければほぼ同一の日本語運用能力を私たちは獲得します。つまり生得的に母語を獲得する能力を我々は備えているということが言われているのです。
ニューロンのリサイクル仮説
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「ニューロン・リサイクル仮説」とは、どのような仕組みなのか。ドゥアンヌの説明では、この仮説によれば、教育を受けるとは、既存の脳回路をリサイクルするということであり、何万年もの間、私たちは古いものから新しいものを作ることを学習してきた。学校で学習することはすべて、既存の神経回路を新たな方向に向け直すことであり、読んだり計算したりするために、子どもは既存の回路を転用する。そしてその回路はもともと別の用途のために進化したのだが、可塑性のおかげで新たな文化的機能に適応できるというものだ。ただし、その可塑性は無制約というわけではなく、空間的には数ミリの範囲に収まり、時間的には多くの回路が生後数カ月から数年で閉鎖され始めるという。
グラレコの能力も既存の能力の転用?
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私の個人的な印象は、グラレコの能力も既存の他の能力の焼き直しであると考えています。
小さいこどもを観察しているとグラレコの片鱗を発見します。クレヨンでひたすら落書きをし続ける。マンガやアニメのキャラクターを模写する。小学校から大学生までノートを取り続ける。
私たちはこれらにどれだけの時間を使っているでしょうか。かなり膨大な時間であると思います。
何かを足す学びではなく何かを引く学びへ
グラレコを学ぶ時に大事なのは捨てることだと考えています。やらないことを決めること。
学びというと何かを付け足すというイメージがあると思います。しかし、身体性が中心となるグラレコはそうではないと考えます。すでに獲得している別の能力を置き換えていくのがしっくりきます。
参考資料
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