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利活用できる“考古学”としてのアーカイブ ―特撮美術監督・井上泰幸の素顔 第二回

私たち株式会社バリュープラスは、「ゴジラ」シリーズをはじめとする特撮映画の美術監督として活躍した井上泰幸氏の個展「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」(2022年/東京都現代美術館)に協力し、膨大な図面やデザイン画のアーカイブを行いました。

本記事では井上氏の姪で、遺族を代表して井上氏の足跡を後世に伝える活動をしている東郷登代美さんにお話を伺いました。

二回目は、特撮美術監督・井上泰幸氏の人物像に迫ります。


―私たちも東京都現代美術館でアーカイブのための整理をしていた時に、井上泰幸さんは何でも残しておかれる方だったからこそ、いろいろ貴重なものがアーカイブできたのかなと思いました。

東郷登代美さん(以下:東郷) 本当にいろんなものがありました。例えば子どもの時の成績表とか水泳大会の賞状や婚姻届、ラブレターまで雑多にありましたね。
ラブレターはプライベートなものなので、姪であっても「読むのは冒涜かな」と思って数年間開封しませんでした。ですが、展覧会を開催するにあたって「叔父にはどういう想いがあったのかな」と「ごめんなさい」と言いながら読みました。読んだ瞬間、泣きました。
戦争に対する想いや、片足を失ったことへの想いなどが赤裸々に書かれていました。井上は身体障がいがあるのを周りに気遣わせず、のほほんとした人だと思っていましたが、内に秘めたものは重く、大きかったのだということを知ることになりました。

―井上泰幸さんの足跡を発信する活動をされていますが、これまでどのようなことをされてきたのでしょうか?

東郷 井上は亡くなる直前に、「作品や資料をどうしよう」と言っており、美術館に寄贈しようかと検討していました。そんな中、「私が(作品を)守るから大丈夫」って気楽に言っちゃったんです。まだまだ元気でいてくれると信じていました。しかし突然その日に亡くなり、大きな衝撃を受け、失意のあまり茫然としました。
「私が守る」という言葉は井上との最後の約束で、絶対に守る気持ちが日に日に強くなりました。しかし特撮についての知識のない私は、膨大な資料(デザイン画、絵コンテ、図面、台本など)をどうすれば良いのかわからず、「守る」と言ってしまったことが私の足かせになってしまったのが正直なところで、一人で悩んでいました。どうすれば残された資料を「守る」ことになるのかを、考え続けました。
例えば美術館に寄贈してしまうのは一番楽ですが、収蔵庫の中に入ってしまうと、展示の機会はごく稀で、表に出ることはなくなってしまいます。また、美術館に寄贈されたものは展示のために借り出すのに厳しい制約があり、さらに作品の移動は高額な美術輸送の手配の必要があります。作品の貴重さを考えるとそれは重要なことですが、どこか納得がいきませんでした。
私は「守ること」は、「倉庫の中にしまっておくことではない」と思い始めました。人に見ていただいて、井上の「匠」の技を皆さんに知ってもらうことが「守る」ことなのではないかと。
特撮を好きな方に井上は知られていますが、これだけの作品を残しながらも、なかなか一般の方には広く知られていません。「どうやってこんな映像を撮ったのか」と井上に話を聞く中で、興味深く面白い話が山ほどあり、これはやはり多くの人に特撮の素晴らしさも知ってもらうべきだと思いました。
ちょうどその頃に「館長庵野秀明 特撮博物館」(2012年・東京都現代美術館)に井上の作品をお貸しすることになりました。それ以外にも、重要なものや面白いものが数多く残っていましたから、「残りの資料でも井上の展覧会は充分にできる」と思いました。そして、「特撮博物館」に貸し出した資料が戻って来るまでの時間に、「まずは故郷である古賀市の方々に井上のことを知っていただけるような展覧会をやろう」と思い立ちました。
展示ディレクターの経験もない、全くの素人の私が開催の計画を進めるのですから、まず元東宝映画社長の富山(省吾)さんに相談に行きました。富山さんに言われたのは、「あなたがしていることは、(プロに依頼すると)100万円かかるディレクターの仕事をしているんですよ」と。
何から始めれば良いのかと途方に暮れていた私に、貴重なアドバイスを沢山いただき、一気に目の前が広がったような気持ちになりました。「私にもできるかも」と思い込み、生意気にも「生まれた時からディレクターだった人は誰もいない!」などと豪語し、アドバイスに従って突っ走って行けば先があると思ってしまいました。
こうして動き出しましたが、企画を進める中で、プロの仕事は生半可ではないことも実感しました(笑)

―すごい行動力ですね。

東郷 2014年に念願が叶い、井上と私の出身地である福岡県古賀市で、最初の展覧会を開催することができました。終了後に、富山さんにお礼のご挨拶に行きました。その時に富山さんから言われたのは、「井上さんの生誕100年記念の展覧会をおやりなさい」と。井上をリスペクトして下さっていて、恩人でもある方からの大切な宿題だと思いました。

2014年に福岡県古賀市で開催された「特撮美術監督 井上泰幸展」のポスター(画像提供・東郷登代美)
「広報こが」2014年7月号より(画像提供・東郷登代美)

その頃から、「生誕100年展」では、井上の技を知ってもらえる“目玉”になるものが重要だと考え始めていました。井上が特撮に関わり始め、最初に円谷(英二)さんに認めてもらったものは何か。それは『空の大怪獣ラドン』(1956年)の岩田屋(福岡市に実在する百貨店)のミニチュアセットだと思い至りました。まだまだ「生誕100年展」までは時間がありましたが、ずっと心にその想いを秘めました。

「特撮美術監督 井上泰幸展」(2017年・海老名市民ギャラリー)のポスター(画像提供・東郷登代美)

2014年の「古賀展」の後は、多くの方々のご協力のもとで、「ゴジラ 特撮美術の世界展」(2015年・みやざきアートセンター)、「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」(2015年・世田谷美術館)、「ゴジラと特撮美術の世界展」(2016年・鶴岡アートフォーラム)にも井上の資料を展示していただいたり、「特撮美術監督 井上泰幸展」(2017年・海老名市民ギャラリー、2019年・グランドニッコー台場 GALLERY 21)を開催したり、毎年のようにどこかの地域で、井上の資料が皆様の目に触れる機会を作ることができました。

「特撮美術監督 井上泰幸展」(2019年・グランドニッコー東京 GALLERY21)のポスター(画像提供・東郷登代美)

その間、2022年に東京で行う「生誕100年展」のために「『空の大怪獣ラドン』の岩田屋のミニチュアセットを作っていただけないか」と、井上が信頼を寄せていた特撮美術監督・三池敏夫さんに、お会いするたびに幾度となくお願いし続けていました。
そんなある日、三池さんから郵便物が届いていて、「何だろう」と思って開けたら、中に入っていたのは岩田屋のミニチュアの図面だったのです。それを見たとき、号泣しました。
さっそく三池さんに監修をお願いして、マーブリングファインアーツの皆さんに、岩田屋のミニチュアの再現制作をしていただきました。

―『空の大怪獣ラドン』の制作時は、岩田屋は外装工事中で、井上さんはその足場なども再現されているのですよね。

東郷 1956年当時、井上は「岩田屋に図面を貸してもらえないか」とお願いに行ったそうです。ところが岩田屋では「そんな、怪獣に潰されるために図面は貸せないよ」と言われ、自分で歩いて歩数を記録し、石畳を数え、“まだら棒”(交互に白と黒の色を塗った、長さの目安を図るための棒)を持って街中の写真を撮り、そこから正確な図面が描けるように、ロケハン(現場の下見)をしています。
岩田屋の近くに新天町という地域があり、―ラドンの翼の風圧で瓦が飛ぶシーンの辺りですが―劇中のミニチュアではその立て看板が傾いていることに三池さんが気付き、「なぜ傾いているんだろう」と調べたところ、実際のロケハン写真の中でもその看板は同じ角度に傾いていたそうで、「そこまでこだわっていたのか」と驚いていました。

「特撮美術監督 井上泰幸展」(2021年・佐世保市博物館島瀬美術センター)のポスター(画像提供・東郷登代美)

2021年には、映画の中でラドンが襲った西海橋に近い、佐世保市博物館島瀬美術センターでの「井上泰幸展」が決まり、初めて『空の大怪獣ラドン』撮影時に制作されたものと同じ大きさの岩田屋のミニチュアをお披露目することができました。
島瀬美術館に設置された、ホリゾント(背景の画)の空をバックに凛とそびえる岩田屋を見て、歓喜の声をあげました。長年描いていた夢の嬉しい瞬間でした。この光景には三池さんのお力なしでは、辿り着けませんでした。

佐世保市博物館島瀬美術センターに展示された岩田屋のミニチュアセット(画像提供・東郷登代美)

いよいよ2022年、「生誕100年」は東京都現代美術館での開催となりました。
新たに岩田屋周辺の西鉄天神町駅周辺のミニチュアも追加で制作していただき、美術館を訪れたお客様には、その大きさを体感していただけたかと思います。“映える”写真をいろいろな角度から熱心に撮ってくださる方もいて、感無量でした。
また、特撮ファンのみならず、若い方や女性も含めて、約34,000人の方々が来場され、500点を超える井上の資料を見ていただけました。メディアでも多く取り上げられ、井上の功績を広く知っていただける機会となり、これで「守る」という約束が結実したと思いました。

「特撮美術監督 井上泰幸展」(2022年・東京都現代美術館)のチラシ(画像提供・東郷登代美)
東京都現代美術館に展示された岩田屋のミニチュアセット(画像提供・東郷登代美)

―特撮美術監督として細部までこだわりを持っていた井上泰幸さんですが、人物像としてはどのような方だったのでしょうか?

東郷 いろいろなことに興味があった人だと思います。
例えば、戦時中は海軍の船舶警戒隊員として佐世保や横須賀で訓練を受け、潜水艦探知機を担当していました。同僚だった方から後に聞いたお話では、音波探知機を全部分解して、ピカピカに磨いて元通りに組み立てていたそうです。当時は珍しかった計算機なども、すぐにマスターして使えるようになったと聞きました。

―好奇心旺盛な方だったということでしょうか。

東郷 好奇心はもちろんのこと、目の前にあるものを調べてとことん知り尽くし、それを解明し理解するまでやり遂げる人でした。
小学生の頃のエピソードですが、居合抜きの練習をしたという話を井上から聞きました。当時近所で有名な札付きの男がいて、その男のところからある女性が、井上の実家に逃げてきたことがあります。井上の母親がその女性を匿って遠方に行方を知られないように逃したそうです。
その男が母親に恨みを持ち危害を加えるかもしれないと思い込んだようで、母親を守るために居合抜きの練習を始め、家の蔵にあった日本刀がボロボロに刃こぼれするまで本気で庭の木を使って続け、居合抜きを会得したと話してくれました(笑)
すごくキッチリとしてこだわりのある人でもありつつ、「強い人」の側面もあったのですね。

―潜水艦探知機も居合抜きも、突き詰めて究めていく人だからこそ、特撮のミニチュアセットを作るときもとことん調べる人だったと。そして、資料として何でも残しておく人だったからこそ、あれだけセットの図面なども残っていて、後に特撮に興味のある方々もアーカイブとして見ることができる。歴史の必然を感じますね。

東郷 映画を作るときも、「”本物”を作る」と言っていました。例えばゴジラが壊す街並みも、本物を壊せないから、限りなく本物に見えるミニチュアを作る。本物を作ろうとするから、セットの中の空気の層まで考え、薄くスモークを焚いて遠くがかすんで見えるようにして、遠近感を表現することなどもしたそうです。
「ミニチュア」って聞くと、普通は小さいものだと思いますよね。でもご覧になった方はわかると思いますが、岩田屋のミニチュアは大きいじゃないですか。「ミニチュアと言ってもこんなに巨大なんだ」ということを実感してもらいたくて、再現を考えました。私自身が、当時の井上が関わったものをこの目で見て体感したいという想いも強くありました(笑)

―井上さんが残された図面やデザイン画は、「中間生成物」ですよね。言ってしまえば、「映画が作られる過程で作られたもの」です。こういった中間生成物をデジタルアーカイブすることの意義については、どのように思われますか?

東郷 井上が特撮に関わったのは1950年代から2000年前後までです。
最新作でも既に20年以上が経過しています。私の感覚では、井上について調べるのは「考古学」なんですよ。私たちが発信を続けないと、今後井上についての研究者が現れない限り、約20,000点といわれる残された資料を見る人がいなくなってしまいます。

最近、ゴジラがブームになっていますが、特撮はCGに移り変わっています。CGはとても素晴らしいと思います。とても細かい表現ができます。
では、CGで制作する時代に特撮を考古学として研究する意味は何か。
私の偏見もありますが、計算されたCGと違って、特撮は「偶然性」なんですよ。ミニチュアのビルが壊れることには、計算してもしきれない偶然性があります。うまく壊れた時にみんなで拍手喝采したというぐらいです。
例えば先ほどの「ミニチュアセットも空気の層まで表現した」ということも土台にあれば、CGで制作する時に「空気の層を表現しよう」という発想もできるわけですね。
そういった偶然性によるリアリティの面白さや表現の工夫と計算を、特撮やCGやモノ作り全般をしている若い方に、知ってほしいんです。

現在の人も後世の人も見たい時に見られるように、利活用ができるようにすることが大事だと思います。研究者が現れるまでずっと倉庫の底で待っているというのは、とてももったいないです。

「昔はどうやって撮っていたんだろう」と資料から紐解き、作られた映像をとことん観察すれば、今までに気付かなかった新たな発見があります。私のような素人でも繰り返し見ていると、気付かなかった発見があり、井上が饒舌に語りかけてくれるような瞬間があります。
アーカイブの最大の魅力は、「考古学」として、先人が培ってきた基礎を学べることだと私は確信しています。

―本日はありがとうございました。
 
取材・構成:バリュープラス アーカイヴ プロジェクト
監修協力:三池敏夫、馬場裕也


井上泰幸のセカイ展
期 間:9月7日(土)~10月6日(日)
    ※月曜日休館
時 間:午前10時~午後6時
場 所:リーパスプラザこが
    (福岡県古賀市中央2-13-1)内
    古賀市立歴史資料館 2階
    ギャラリースペース
入場料:無料
主 催:古賀市

ゲストトーク&上映会
特撮美術監督・三池敏夫氏による「井上泰幸と特撮ミニチュアの魅力」
9月21日(土) 「総天然色 ウルトラQ」
9月22日(日・祝) 超レア短編怪獣映画&メイキング上映

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