今夏 日本に訪れるブリット・ポップ戦争の記憶
はじめに
blur / OASIS
出身も音楽性も対照的な両バンド
活動の詳しい内容は以下のサイトが詳しいので是非ご覧ください。
彼らの活動は語り尽くせないので、今回は両バンドが熱く対立し、イギリス全土を巻き込み、映画・ファッションから政治の世界まで影響を与えた出来事「ブリットポップ戦争」とその背景・影響について見ていきましょう。
ブリットポップ戦争
年表
1994/4/25 oasisがデビューシングル『Supersonic』を発売
1994/4/11 blurが3rdアルバム『Parklife』が大ヒットし、英国ロック界の頂点に登り詰めたblur
1995/8/14 blurのシングル「Country House」とoasisのシングル「Roll with It」が同日発売
※実は元々別の発売日だったが偶然パーティーで出会ったデーモン・アルバーンにリアム・ギャラガーが「俺たちは1位」(シングル「Some Might Say」で1位を獲得)と挑発したため、blur側がシングルの発売日を同日にぶつけたのが原因
結果はblurの「Country House」が27万4千枚/週、oasisの「Roll with It」が21万6千枚/週で6万枚近い差をつけてb
これに激怒したoasisノエル・ギャラガーが
「blurのギターはいいやつだ。ドラマーもいいヤツらしい。でもデーモン・アルバーンとベースはダメだ。デーモンとアレックスはエイズにかかって死んでもらいたい」
と大失言をし、大バッシングを受けてしまい最愛の母から「そんなことを言う子に育てた覚えはない」と漫画のようなことを言われてしまう始末
ノエルは謝罪したが、この発言を機に両者の対立は急速に収束
1997年 blurのデーモン・アルバーンが「ブリット・ポップは終わった」とも取れる発言をする
その後、blurが活動休止した2003年から表立った喧嘩はなく時は経ち
2012年 偶然クラブで出くわしたデーモン・アルバーン、ノエル・ギャラガー。ビールを飲み和解
ブリット・アワーズでは同じ席に座り肩を組む姿が
その後、デーモン・アルバーンのプロジェクト ゴリラズにノエルが参加。今では固い人間関係で結ばれている
ブリットポップ誕生の原点 : グランジへの反動
そんなブリット・ポップ戦争の原点。ブリット・ポップが生まれた背景を振り返ってみましょう
blurがアメリカツアーを行ったのは、マネージャの経理ミスで多額の負債を抱えたのが原因。そんな状態で敢行したアメリカツアーで受けた厳しい洗礼が彼らの意識を変えます。
そして1994/4/5グランジの象徴 Nirvanaのカート・コバーンが自殺。
グランジブームが収束し、ブリット・ポップが花開く土壌が整いました。
Topics : NIRVANAとblurの関係性
VICEの記事で両バンドの関係について触れられています。
blurの悔しい想いが後のブリット・ポップ隆盛に繋がったことが垣間見えます。
争いの背景 : 階級制度とキャラクター
ブリット・ポップが完全に花開いたのは、blur vs oasisの罵りあい
その背景にあるのは彼らの階級の違いであった。
音楽性の違いはもちろんのこと、そのファッションスタイルにも階級の違いが表れている
こうしたわかりやすい対立構造が前提にあるためメディアが取り上げ、全英を巻き込み、異なる領域まで波及していったのです。
参考HP
blur vs OASIS ファッション考察
ブリット・ポップ戦争が起こった背景を見てみたところで、ものときろくらしく両バンドのファッションの共通点と差異について見てみましょう
blurのデーモン・アルバーンは自らのスタイルを「モジュアル(モッズ+カジュアル」と呼んでいる通りブリット・ポップのファッションはモッズからの流れがあることは明らかで、またoasisのギャラガー兄弟により流行したフットボールシャツは労働者階級の誇りとフーリガンを想起させます。
それではブリット・ポップを象徴する主なアイテムを見ていきましょう。
ハリントンジャケット
バラクータ(Baracuta)が1930年代に発売したG9ジャケットがベースとなり、1950年代にはアメリカでアイビールックとして流行、1960年代にイギリスでモッズやスキンヘッズに拡がり、1970年後半から1980年代のモッズリバイバルでも流行しました。
英国のサブカルチャーと強く結びついておりブリット・ポップファッションの代表的なジャケットです
フットボールシャツ
英国といえばフットボール生誕の地。特に労働者階級にとって日頃の鬱憤を晴らす最上級のエンターテイメント。フーリガンのような荒くれ者のイメージもあり日常でありロックファッションにはうてつけ
パーカ
モッズの象徴とも言えるミリタリーのパーカスタイル
アディダス・フレッドペリー・バーバリー etc.
ブリット・ポップファッションを象徴するブランドはいくつかありますが、アディダスは特に人気だったそうです。
またフレッドペリーやバーバリー、他にもアンブロ・FILA・ドクターマーチンなども着用されていました。
参考HP
ブリット・ポップが与えた影響
blur vs oasisが加速させたブリット・ポップムーブメント
その流れは社会現象と化し、ミュージシャン達がバラエティ番組への出演や新聞に載るなど身近なものへと浸透していきました。
またファッション分野ではジョン・ガリアーノやオズワルド・ボーテング、アレキサンダー・マックイーンが、そして1996年には『トレインスポッティング』が世界的にヒットしイギリス文化が世界に知られるようになり、
極めつけは1997年に労働党から44歳のトニー・ブレアが選挙に臨み、彼が首相に選出されるとノエル・ギャラガーら各界の若手アーティストらが祝意を表しに訪れ話題になりました。
ブレア首相は「クール・ブリタニア」を国会ブランド戦略に採用しますが、
2000年代には死語となり収束していきます。
Topics : リアムの息子blurのTシャツを着る
親の心、子知らず。と言ったところでしょうか。
おわりに
いかがだったでしょうか。
一時代を築くカルチャーには大抵世間全体を巻き込むライバル関係があるように思います。
blurとoasis
どちらか一方が欠けていたとしたら、ブリット・ポップがここまで流行し音楽からファッション・映画・芸術にとどまらず政治の世界まで巻き込み「クール・ブリタニア」として国家全体を一夜の夢に導くまでになったのか。
もちろん、この記事は事象のたった一部を切り取っただけですが、こうして特定の出来事を多角的にかつ流れを意識して整理すると頭に残りやすく、学ぶことも多く感じることができるのではないでしょうか。