『自他力本願のおへそ』第170言
自力と他力
自分ひとりの力でなんとかしようとすると、最初はカッコいいのですが、行き過ぎると、ふんづまる時がやってきます。
ならば他力と「神様、あとはよろしく」で最初から何もしなければ、きっと「何も起きない現実」を用意してくれるだけでしょうw
どこかにちょうどいい塩梅の力点があるんだろうなぁ
*
臨機応変と妄想
あれこれ考えて色んなパターンを想定するのは、臨機応変に対応するためだと思っていました。
ところが最近、「いや、それただの妄想」と気づくようになりました。
「これまでの経験、事例から」なんていうとカッコつきますが、むむむ、確かに起こってもいない事をあれこれ妄想して、不安と心配をしてるだけかも、と思うようになりました。
そしてあろうことか、それを神様が聞き入れてくれるのです。
(そんなに不安と心配をしているのなら、それに見合った現実を起こしてあげよう。さぁ、とくとご覧あれ「あぁ良かった、不安的中」な現実)
い、い、いやだぁーーー!!(ホラー)
よし、撤回しよう。(気づいたらアッサリ方針転換こころみる)
今起こったこと、これから実際にすること、に集中しよう
「今ここ」に集中です
*
エゴと委ね
結局、不安や心配、そこから派生する怒りや苛立ち 等々、もろもろ
「エゴ」だと気づかされる時がやってきます。
傷つくことさえも「エゴ」だと・・・(うひー)
今起こったこと、これから実際にすること、「今ここ」に集中
ああなったらこうなったら あれやこれや妄想している自分に気づいたら
「これが『エゴ』というやつか、よし、わかったぞぉ」
と言い聞かせ
今やれることだけ一心不乱にやったら(自力)
それ以上の妄想は「エゴ」だと思って、手放す
そこから先は宇宙の法則(愛)に委ねる(他力)
ここがおへそだ!ってところで
あたかも「想定・予測」とカッコつけている
心配・不安という名の「エゴ」を手放す
と同時に「あとは宇宙が決める」と委ねる
この訓練を開始していますw
愛に生きる『覚悟』という名の実地訓練なのかもしれません(o^―^o)
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