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『愛ゆるます愛』第214言

ある本でこんな言葉に目が留まりました。

「自分の思いどおりにならない人を愛せない」のは、つまり、「自分のことしか考えていない」のと同じ。

(むむむー、わかっちゃいるけどやめられなーい)、、そりゃ、そうしたいけどさぁ、そんなにうまくやれないよぉって時はありますよね。

いや、まだ近しい間柄なら思いどおりにならなくても愛せますけど、全方位愛するって無理じゃない?って思うわけです。

で、「愛する」って言葉がすごく自分の中でハードルが高い、むしろ「縛り」のように感じるところもあって、「なんぴとたりとも、愛さなければないません」みたいな・・・。

いや、正直無理っス(これも正直すぎるかw)

だけど、「愛する」を「受け入れる」に変換すれば、まぁできないこともないか、と思えてきました。

▶そういう人もいるんだな
▶そういう考え方や価値観、世界観もあるんだな

それぐらいでいい、とゆるます。
「ゆるす」というより「ゆるます」

そうすると「愛する」=同調して共感して全肯定しないといけないの?っていう縛りから解放される。縛りというか思い込み?

「愛する」って定義も、人それぞれです。って言われればその通りだから、自分にとって無理のこない、良い加減でいいんだろうなって思いました。

そうすると、冒頭の言葉を読んで、
「ということは、自分の思いどおりにならない人も愛せないといけないのか」と無意識に作動しそうな「~ねばらない」思考を解除できそうじゃないですか?

「ゆるす」のと似てますね。

「ゆるさないといけない」と自分の方を縛るんじゃなくて、「そんなひともいるんだな」とゆるます。

「ゆるす」は「ゆるます」だと知った時、ずいぶん楽になったものです。

まずはここから、そんな感じで実践中(できるようになったら、愛するとかゆるすの意味ももっと深まるのかなー♪)


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