『人生をかけた遊び』第215言
小さい時遊んだ「かげふみ」
自分の影をふまれたら負け。
Aの影をまるで鬼でも見るように勢いよく足で踏んづけるB。
どっちが鬼かわからんなww
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小さい時、自分の影に興味もったことありませんか?
ずっとついてくる。ほんとーについてくる。唯一離れる時を見つけた。飛んで地から足が離れた時。それでも影はそこにある。。
だけど、人生は地に足つけて歩くもの。そりゃ影も離れません。
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影・陰って別に悪いものでもなんでもないですよね。
日・陽があたるからできる、ただそれだけのもの。
それを「善悪」に当てはめようとすると、ちょっと変になる。まるで「陰陽」一体が、2つに分離しきってしまったような「光と闇」のようだ。
でもそれって、きっとこんなことなんじゃないかな↓↓↓
▶鏡に映った同じ姿・形をして、同じ動きをする自分を、他人だと思って猫パンチしちゃうのと同じ。だけど一生当たらないw 当たるのは自分のこぶしww(パンチした分、痛みが我が身に返ってくる)
▶自分の影も同じ。それは自分の映し。そしてやっぱり自分では自分の影は踏めないw(力の限り踏んづけたら、足がじんじんするだけだろう)
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ところが、人生においては、鏡に映る自分も、自分の影も、なぜか「他人」に見えてしまう。このカラクリに気づくための人生かけた遊び。
「人生はゲームだ」という言葉は(にゃにおー、こっちは必死に生きておるというのに!)と反論したくなったものですが、視点を変えて何をゲームだと言っているか、と考えてみると、あながちウソではないなー、なんてね。
「陰陽統合」ってアレ、それが出来たら脱皮するように人間も飛躍していくだろうか?乞うご期待♪ よぉーし、とことん遊ぶぞー