『できることと自分のものについて』第233言
人は「できること」より「できないこと」の方が多いんだぞぉー
って言葉を聞いた時
ほっとした。
それから1年後、その言葉をふりかえった時
できないことがあったっていいんだぞぉー
に聞こえていたあの言葉に
少し理解に深みが加わった。
何ひとつ「自分のもの」というものはない
水も石も草も木も生物も 何ひとつだ。
何ひとつないというのは悲観じゃない。
「自分のもの」というものは何もないのに、これだけ分け与えられ、恵まれているということだ。
その大きな大きな宇宙の本当の前提にたつと、そりゃ「できること」より「できないこと」の方が多いに決まってる。はき違えちゃならないね。
「できること」は分け与えられ、恵まれたことへの恩返しなのかもしれない。
親が与えてくれた愛情に、どうやっても恩返ししきることはなく、お返しが追いつくことは到底できないけれど、それでも子は、その中から「できること」を探し当て、よろこんでもらいたくて、親をよろこばせたくて、だから必死なのかもしれない。
でもきっと親はいうでしょう。
親にとって子どもの幸せが一番なものですから