たまには
アレな父親ですが褒めてみようと思います。
思いつく限り箇条書きしてみるか…
100個くらい出したいところです。
いきます。
・ベテランで凄腕の石工
一般的な建築の施工もするが、鞍馬寺にある
モニュメントと、角の部分が絶妙なバランスで
なだらかな曲線を描いている、近年建てられた
尼崎城の石垣は俺の父が造ったもの。
・金槌を使って一発で釘を根元まで打てる
…10代の頃仕事の手伝いをしに行った時、
休憩中に見せてくれた。
見よう見まねでやったけど無理。
・浮気をしない
夫婦生活を送るにあたり当然だろうけど本当に
仕事一筋でストイックだった。
・酒、煙草、ギャンブルをしない
母曰く、若い頃はヘビースモーカーだったらしいが
俺が知る父は嗜む程度ですら全部やらなかった。
・かなりの読書家
小説などよりビジネス書、ハウツー本などを
好んで読んでいた。家庭のルールでTVゲームや
携帯ゲーム等を禁止する代わり、読書に親しむ
ことの大切さを教えてくれた。
誰よりも早くハリー・ポッターを俺に薦めた。
まぁ、読まなかったけど。
・なかなか男前
若い頃は草刈正雄に似てると言われたらしい。
いやはや、若い頃の草刈正雄本人がかなり男前
なんだけど、まぁ父の青年時代の写真を見たら
実際なかなかのモンでした。
今は長年土木の職人をしているから色黒ではあるが昔はかなり色白で、顔が濃くて鼻が高くて鼻筋が
通ってて身長が178cmある。
あと、父親かどうか一旦先入観抜きで見たとき、
一瞬、5代目ジェームズ・ボンドを演じた
ピアース・ブロスナンに似てる気がした。
それくらいには男前。
何だろう、その息子が中途半端な顔の濃さで手足は180cmの男と同じくらい大きい(靴は28cm)のに
身長166cmって。何なんだろうな。
母が身長150cmで父とは違って顔のパーツが
対照的にくっきりしてない方だからかな…
もう少しだけでいいから父に似てたらな。
全然別にコンプレックスではないけど。
・芸術に向ける情熱
巧緻性の問われる職業柄、そういった分野への
関心は深かったように思う。
殊に絵画を好んだ。デッサン教室にも少し
通っていた。信仰からきているのだろうか、
仏教芸術も好きだった。TVで観たヨーロッパの
近代画家と自分なりの芸術観が全く一致していて
深く感動を覚えたらしい。よく分からなかったが、
芸術へ強く関心を寄せていた。
芸術史に名を残す画家とその価値観が合うなど
珍しいことだ。褒めるに値するポイントだろう。
・俺にブルース・リーを教えてくれた
コレはね、ここに項目を作るくらい大きい。
ここから長くなりますよ。
先にトイレだけ行っといてください。
※この先の項目もあとがきも長いです。
長くなりました。
俺が6歳〜7歳の頃だった。
1973年、ブルース・リーが映画史に残るアジアの
大アクションスターとして世界に知らしめた作品
「燃えよドラゴン」をTSUTAYAで父が借りてきて、一緒に何気なく、何も知らずに観た。
父はその頃20歳そこそこだったらしく、日本に
本作が公開された年には劇場へ2回観に行ったと
話していた。
わざわざ説明するまでもないが、強靭な肉体、
叫び声を上げ切れ味鋭いカンフーで立ちはだかる
敵を倒す強さ、そして華麗なヌンチャク捌きに
思わず魅入ってしまった。
幼少期に見たような映画に登場する武器なんて、
形は違えどたかだか剣や銃くらいのものだ。
映画を観て以来、ブルースはさる事ながら
ヌンチャクという武器に夢中になった。
https://youtube.com/shorts/4DpMDzKF2aE?si=HpWgNcehqitBZI3Y
それからというもののすっかりブルース・リーに
心奪われ、手先が器用な父が作ったヌンチャクで
別日に買ってくれたビデオだけを見ながらひたすら独学で練習した。
平成中期の少年に昭和40年代の少年が憑依した様
だった。大人になった現在も披露できる位に
スキルが身に付いている。
一応言っておくとヌンチャクで相手を倒す技術は
知らない。ブルース・リーの真似事くらいなら
出来る程度である。
父がブルース・リーを教えたことによって、
俺のこの先の趣味嗜好に多大な影響を与えた。
余談ではあるけどストⅡや鉄拳なんかをやる時は、
キャラ性能が自分にとって使いやすいとかは
二の次で、フェイロンとマーシャル・ロウ
ばっか使う。だってブルース・リーが好きだから。
勿論ジャッキー・チェンも好きです。
父が教えてくれなければ多分今の俺は丸っきりと
言っていい位趣味が違う可能性がある。
…ヌンチャク独学に関してだけど、それじゃなく
幼少期はギターとかやってた方が余程もっと
役に立ってたかも知れないとか思うけどコレは
あんまり考えないようにしてます。
あと、引くくらい凄いヌンチャクの技術を
SNSで披露してる人の動画とかも出回ってますが
自分のショボさ具合と比較すると凹むので
気が向かないと見ないようにしてます。
長くなりましたがまだ父を褒めます。
・故郷の長崎から大阪に出てきたこと
大きな感じになるけど、俺という人間にとっては
強く褒めたいポイント。
父は結婚を機に、当時の収入では世帯を持っても
養えないと思い、職探しに母と大阪に来た。
母としては2〜3年程度で落ち着いたら一緒に
長崎へ帰るつもりでいたものの、姉二人が生まれ、その下に俺が生まれ、父と母は熟年離婚したが
大阪に数十年住んでいる。
たまに想像することがある。
父が長崎から大阪に出ることを決意しなければ
どうなっていただろうか。
仮に長崎で俺という人間が生まれたとしたら。
うーん、やっぱり褒めるとか褒めないとか
そういう次元じゃないかも知れないけど。
環境が人を育てるっていうじゃない。
大阪でしか育たなかった俺の中の何か、
大阪でしか成し得なかった人間関係、
大阪でしかつかなかった色んな経歴。
例えば一番分かりやすい、見た目の部分だ。
アメカジから泥臭い雰囲気を取り除いて、
都会っぽさやロックっぽいテイストを加えた
ルードファッションが好きだ。
他人が着る分には特に気にはしないけど、
流行とか無難な感じはあまり好きになれない。
ボーラーハットにボウリングシャツ等を合わせ、
ウォレットチェーンを提げた細身のジーンズに
ドクターマーチンやラバーソールを履くような、
格好いいか悪いかは別にして、そういうバンドマンの様なスタイルが性に合っている。顔だけだけど、ピアスは過去には最大7個も開けた。
タトゥーは入れていない。
音楽はロカビリー、パンクロック、UKロック等を
10代からよく聴いている。
映画も、誰もが知る全世界大ヒット的なのより
どちらかといえばサブカルな雰囲気でカルトなものに興味を引かれる。
…ふれあった人やモノが間違いなく俺を形成した。
そもそも父が大阪に出てきていなかったら、
全然違う俺だったかもしれない。
将来こうしてnoteを書くにあたり、利喜弥という
ネーミングではなかったかもしれない。
また、これはほぼ確実にバーテンダーを生業には
していなかったと思う。
違う世界線の自分を想像するのは興味深い。
利喜弥が長崎で生まれ育っていたら、
ルードファッションでもなくさほどロックが
好きでもなくカルト映画に興味はなかったかも。
もっと思想が違って堅い仕事に就いて、
おまけにヘビースモーカーではなかったかも。
三十路を過ぎて英会話を独学で勉強する姿勢も
なかったかも。全部「なかったかも」。
長崎がいい悪い大阪がいい悪いの話ではなく、
色々あるけど俺は自分が好きだ。
もちろん大嫌いなところもある。
これを書いている今だって「自分の考えがこうで
なければ何十倍も幸せだろうな」と悲観して
いたりする。けど、父が選んだ人生の延長に
俺が生まれ、普段noteに書くような宗教の問題も
ごちゃごちゃあるが、それに惑わされなかった
今の自分が結構好きだったりする。
…まぁ、心の拠り所のその宗教にしっかりハマり
人生を送れば良くも悪くもまた違う人生、そして
自己肯定感満載で自分を好きだと言うかも。
長崎で大阪で、はたまた違う場所で生まれて
違う場所と環境で育っていっても…。
うん、まぁこれは自分の考えや思い次第だろうけど
少なくとも自分のことは好きかも知れない。
数え切れない要素が交わり、俺を構成したけれど
両親がくれた人生はいま全然うまくいってない。
折れ線グラフでいえばかなり下の部分に、
鋭角に曲がっている自己判定の現在。
それでも俺は俺のことがなんだかんだ好きだ。
…これは父を褒めてるか分かんないけど。
・敬虔な信仰心
普段宗教ズブズブの父の残念エピソードを
ここで披露している訳だけど、まぁ…うん…
善し悪しはさておき、ここまでひとつの宗教に
傾倒する人間は身近には居ないと思う。
まぁ皆の周りにも居るんだろうけど、
体感的には父はその3倍くらいは信仰心が強いと
考えてくれてもいい。むしろそう思ってほしい位。
普段のLINE、もっと宗教から離れて父自身の言葉で
何か言ってくれよとはしばしば思うけど、
一回きりの人生にここまでひとつの事に仕事や
趣味以外で打ち込むことは難しいんじゃないかな。
自分の考えをほぼ捨て去り、それに沿って疑いなく人生を今尚送り続けるなんて相当かもしれない。
ある程度、の信仰心なら途中で頭の中で
「?」マークが沢山ついて、本当にコレが
正しいのか理解しかねる部分はあるかもな。
もう30年以上今の宗教に入信してその過程で
疑念をおぼえることは多分あったにせよ、
宗教そのものが自分の思想ですと言わんばかりに
信じきる姿勢って大したもんだなって思う。
内容だとかそういうの一旦抜きにして、
損得勘定抜きでそこまで信じぬくのは難しい。
俺やその他の人達に何の影響があったとか一旦
ぜーんぶ抜きにして、少し角度を変えて、
フォーカスをぼかして父を見たら、その宗教が
どんなものであれ、自分の身を投げ出さん勢いで
人生を捧げてしまう程に入り込むなんて普通は
出来ないと思う。出来ないよね?
そういう意味合いでは、凄いとは思う。
国内外問わず、歴史上の人物ならそれ位信仰心に
凄味のある人はまぁまぁ居たような気はするけど
身近には居ないよね?
このエピソードがその度合いを物語ってる。
https://note.com/vomit_quiff/n/na223e27c9298
…うーん、褒めはしない。凄い、で留めておく。
………
えーと、終わりです。
100個無かったです。
10個でした。
かなり頑張ったけどね。
まぁねぇ…先日、大の男二人でダイソーに売ってた
「罰ゲームすごろく」なる対象年齢6歳以上の
ゲームで盛り上がってたんだけど(何やってんのよ
暇かよバカじゃないの情けない)、相手がコマを
進めたら“左の人に自分のいいところを3つ
ほめてもらう”って所に当たり、結局ゲームが
終わるまでに3回当たって俺が9回同じ奴(まぁ
そいつと俺しか居ないんだけど)を褒めないと
いけなくなってもう地獄の様相。
せっかくの金曜日の夜にオッサン二人ですごろくで遊んで一晩にオッサンがオッサンを9回褒めてて
何が楽しいのよ。最悪じゃん。
けどそのすごろくは対象年齢6歳以上の割に
意外と楽しかったです。100円で大の大人が
まぁまぁ時間をかけて楽しめるなんて、なんと
コスパがいいことでしょう。よく考えたら凄い。
子どもの頃に読んだ絵本、大人になってから読むと
今の感受性だからこそ見える何かを見つけて
その絵本にグッと来てしまうみたいなのと
同じですね。違いますね。はい。
一日かけてこの記事を書いたけど、ひとりの人を
いっぺんに褒めるのは10個までが限界かも
知れないです。割と最初は出るけど、
すごろくで褒めた7回目〜9回目とかなんて
結構頑張りましたもん。
別に褒めるとこが無いとかそういうんじゃ決して
ないけど褒めたいポイントを短いスパンで
バンバン出すのは意外と難しい。
片やアイツは俺の前でめっちゃ美味そうに
酒飲んでた。ちきしょう。
俺も3つ褒めてもらうコマを当てたら
同じように煙草がめっちゃ美味かったけど。
皆でやろう。罰ゲームすごろく。
9個褒めないといけなかったからそうしたけど、
いざ、ほぼ無限に褒めようとしても絞り出したら
頑張っても10個だったな…
むしろ息子なら親を100回褒めてみせろよって
なるかも知れないけど実際無理でした。10個。
100個じゃないにしても箇条書きでそこそこ埋めて
記事が長くなると思いきや10個だし、ほとんど
自分の気持ちを書いて長くしてしまった。
しかもかなり長く。
まぁいい。読み始めた人が最後まで読んでくれる
ならそれでいい。全然いい。
刺さるとかそういうの別になくても。
あと基本的には書き始めると長いし、
俺の過去を少し切り取ったものを長く記録
したようなものだから本当に根気強く読める、
もしくは読みたい人向け。
今言うことなのか分からんけど、普段別にスキが
沢山つく訳じゃないし、このnoteを教えた実際の
知人だってどれ程の人数が読んでくれているか、
また、全て読んでる人だって居てもそれが何人
居るか分かったもんじゃないけど、読んでくれて
本当にありがとう。
こんなnote下らないだろうに数少ない
読んでくれる人はそりゃ褒めてあげたい。
自分の他の記事と比べてはないけどこの記事は
過去イチ長い気がする。この記事は入力した分だけ全て読むと丁度5800文字。
仮に速く黙読しても時間が別に変わらないとして
400字原稿用紙1枚が1分、5800文字なら14枚半、
14分30秒程度で読めるみたい。計算合ってる?
…正直、書いてる最中に画面右下に出る文字数を
見た時、この記事全体を5800文字になる様キリ良く端数を調節しました。すいません。
読み物として長いんだか短いんだか。
だけど、読んでくれてありがとう。
偉い。こんなの時間かけて読んでくれるなんて。
誰か褒めたいなら褒めましょうよ。
それはシンプルに本当いい事だと思う。
恥ずかしくても伝えよう。
けど俺はこれを父にダイレクトに伝えるつもりは
無いし、この記事を見ることもないだろう。
10個しか無いのかとか言われるのは嫌だし。
それを含めて伝えたくない理由は9個ある。
いや100個かな。