ツレが鬱になりまして
皆さんこんばんは、本日はずっと "火曜日" だと思いこんで働いていたので、ふとカレンダーを見たときに驚愕しました。
定例的なMTGも自分はそんなにないので、曜日感覚を司る機能が死んでいるということでしょうか。
さて、本題にも関わる話題はありますが、本日割と自分に近い人間から「最近メンタルをやられてしまった(鬱かはわからない)」という連絡を受けました。
人間というものはあまりに向かい風が強く吹き付けると、どうしても日常という流れについていけなくなる瞬間が来るようですね。
そして、この自粛の状況下では普段発散できていたはずのストレスも発散できない、というような状況に陥って自粛疲れしてしまう人もいるようです。
■ ストレスの原因は十人十色
今日ふと思ったのが、何からどれくらいのストレスを受けるのか、それがどうすれば発散されるか、については人によって大きく異なってくるということです。
ストレスを受ける理由については、割と人間関係に帰着することが多いですが、その発散方法というのは人によってかなり異なるようです。
まあ、根本原因を紐解いてしまうというのが最善の策なのはいうまでもないですが、それに耐えうるだけの心がない状態だからやられてしまうわけですね。
自分はストレスの原因を書き出すことによって、ストレスのサイズと深さを測定して「なんだ大したことないな」と心を穏やかにすることはあります。
それすらも危うい時はひたすら休んだり、散歩をしたり、音楽などのアートに触れるなどしてエネルギーを吸収します。
自分の場合は1人でストレスを発散することが得意な人間ではあります。
ただ、人によっては人と話すことや体験を通じてストレスを解消していくタイプの人間もいます。
そんな人にとっては、この状況はきついんだろうな〜と心を痛めています。
■ どう接してあげるべきか
これも人によって原因が違うのでなんとも言えませんが、僕は心が疲れることは自然なことだとして受け入れるようにしています。
なぜなら、自分もしょっちゅう心は不安定になりますし、それを上手に戻してあげることが出来なかったら日常に支障をきたすことは想像がつくからですね。
その人の性格や状況によって、ちょっと戻すのが難しくなれば休みたくなるのは当然のことだと思っています。
別に心が疲れた人間を弱い人だとかは思いませんし、寧ろ確かな感受性があって人間らしくて素敵だな、とさえ思います。
世間一般の "あたりまえ" のレールには決して乗り続ける必要はないと思います。インターネットの普及でこれだけ考え方が多様化した時代で、あたりまえを守り続けることって寧ろ難しいことかと。
ただ、戻ってこれたなら、それはそれで素敵なことだとも思います。
自分が感じた世のあたりまえとのギャップを理解して、レールの上で生きる人たち人に優しくなれたり、現状に合わない常識を塗り替えることができたりといいことはたくさんあるんじゃないかと。
■ 「心」だけは比較しない
名言っぽいことを書きました、これが言いたいことですねw
人間の内面は人と比べて優劣を議論できるほど単純なものではない、というのが持論ではあります。
そして、そんな単純ではない人間の心理を時ほぐしていき、多様な人が生きやすい文化圏を作っていきたいというのが自分の夢でもあります。
幸い、自分は弱ることがあっても折れにくいメンタルを持っているので、どうしても無理になったら「心が疲れたので有給取ります!」と普通に宣言しようと思ってますw
いいな、どっかでそんな有給あえてとってみようかな。
文化的なものに1日浸る有給。聞きたかった音楽とかめっちゃ聴く日。
そういうスタンスに理解が示される社会を創っていきたい。