"教える" ことが難しすぎて心が折れた件
こんばんは!
今日叫びたことはまさに表題の通りでございます。
誰かに何かを教えるのって、難易度高すぎませんかという話。
教えるために必要なポイントで、かつ心が折れたポイントを3点お伝えしようかなと思っています。
■ 教わる側の知識・理解度がまちまち
大人数に同時に教える時に発生しうる点です。
各人によって今までの前提知識、これから学んでいく際の理解度が全然違うため、どれくらいのレベルで教えたらいいのかを把握するのが難しいです。
この時点でもう心折れませんか笑
レベル感を把握した上で、足並みを揃えて進めるよう事前にスタートラインを合わせておく必要性があります。
うわー、という感じですよね。
■ 積極的に学んでもらうのが難しい
実際に教える内容が決まった後、教えている最中にも積極的に理解をしてもらう雰囲気を作るのが非常に難しいですね。
アクティブラーニング、なんて言葉もありますが実践してみると中々難しいです。心が折れます。
■ 問題の回答に対する解説が難しい
受講者の理解度や応用力を図るために、学んだ内容に対するテストを行うことはよくありますよね。
一問一答で正解が一つに決まってしまうような問題なら良いのですが、国語の文章の添削のように、様々な観点を網羅的に知らないと最適な解説ができない問題は本当に心が折れます。
そして、問題の抽象度が上がれば上がるほどそれは難しくなって行きます笑
極端な例を言うと「幸せとは何か?」みたいな問いに対して正しい解説をできる人はいないわけです。
なぜなら定義は人それぞれで、地球上全ての人間の幸せの定義を知り尽くし帰納的に答えを導いている人などいないからです。
この3つ目が割と心折れポイント(造語)だったかもしれません。
■ 結局皆で学び続けるのが良いのでは
教える側が完璧でないと言うことを教えるのも重要な要素だと思うので、共に答えを作っていく姿勢で教えていけば良いのではないか、と言うのが僕の考えです。
とはいえ、ここまでは知っていなきゃ話にならない、みたいなラインってありますよね。
それを超えるべく日々勉強ですね。。。