どこまでも脱線を続ける夜
休日っていいですね。自分の趣くままに動くことができる自由な時間というものは、現代の日本社会において本当に貴重であると思っています。まあ、コロナウイルスの影響を受け、家の中で出来ることに限られてしまいますが、それでも自由というものは良いものです。
時間的な自由ももちろん大切ではありますが、精神的な自由の方が自分は大事ですね。外界からの制約下で、解答を提示する毎日が続いていくことほど不幸なことはありません。
さて、本日は特に何かしらのテーマを決めて執筆を進めているわけではありません。完全に真っ白なキャンバスに文字を叩き込んでいる状態です。只今の時間は午前1時24分。今思っていることや感じていることをつらつらと書いていこうかと思っております。
皮相な問わず語りを垂れ流すだけの記事になることは間違いありませんので、是非このタイミングでブラウザバックをクリックして下さい。さて、書いていきましょうか。
今日は本当に静かな夜だな。都会のど真ん中にいるのに、喧騒から隔離されていて本当に筆を走らせることのみに集中できています。
あ、そういえば本日あれをやりました。特別給付金の申請。自分はPCから申請を行ったのですが、必要な書類が揃ってさえいれば10分ほどで申請を終えることができました。10万円を頂けるのはありがたいことですよね。何に使おうかは少し迷っていますが、頂いたものであっても折角なら有意義な使い方をしたいものです。
さて話は脱線していきます。お金に対する価値観って本当に人によって違いますよね。社会人になってそれを強く意識するようになりました。お酒を飲むことにお金を使う人、自らの健康増進に使う人、ゲームに課金する人、ひたすら貯金する人、本当に様々だなと思います。
お金に対する価値観っていうのは少し日本語としておかしいのか。お金そのものが価値を媒介するものであるから、「何に対してお金を使うのか = 価値観」と捉えるべきか。いや、でも価値を感じるけどお金を払わないものっていうものも存在するな。つまり、お金に対する価値観という言葉は、資本主義制度に対する価値観という意味で捉えるのが一番自然なのでしょうか。
では、言葉を改めまして。お金の使い道って人によって違いますよね、という話について書いていこうかな。自分は割と衣食住にまつわる最低限の欲求を満たすことを中心にお金を使っている気がします。ですが、その衣食住という暮らしの営みの中に自分の拘りを反映させていきたいタイプではあります。生活スタイルそのもが自己表現につながっている状態、これが理想ではあるなあという風には思います。
自己表現については、暮らしに加えて執筆・歌・仕事というものを通して実践されている気がします。仕事も個人的には自己表現をするものの一部ではあると捉えている節があります。ただし、それを一義的な目的に据えるのではなく、あくまでも課題解決による利潤追求という大目的に従うものであるということは間違いなさそうです。また、仕事は組織で行うものですので、協働を円滑に行う上でのプロフェッショナリズムを欠かすこともできません。そこを履き違えてしまうことについては良しとしません。
話を私のお金の使い道に戻しましょうか。衣食住に加えてお金を使うとしたら、気の置けない友人と遊ぶ時間と新しい出会いのための時間のためでしょうか。究極的に人生で必要なものは、満ち足りた衣食住、自分の人生の一部を形作っている自分の友人・家族、その輪っかを広げる機会、この3つに帰着するような気はします。それ以外の自分のストレスを解消するだけの消費というものはできるだけ避けるようにしていきたいですね。
自分の思考の癖でもあるのでしょうが、どんどん話が抽象的な方向へと進んでいってしまいますね。このまま書き続けることによってどこまでいくのかについては非常に興味が湧きますが、夜も遅いので本日はこの辺りで筆を置こうかなと思っております。
ここまで書いて気づいたことは、やはり冒頭に書いたように皮相な問わず語りを垂れ流すだけの記事になったなあということです。薄く、そして需要のない文章の羅列になってしまいました。もっと具体性のある自分の感情や経験を元に深くナイフを突き立てるような文章を次々と生み出していけるように努力したいと思います。
過剰な理性の是非を問いつつ、夢の世界へGOしましょう。
おやすみ!