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Voices Vol.23 現役教師が語る「不登校に対するジレンマ」その2

本記事は前回の続きとなってますので、まずはそちらをごらんください。

3 不登校児がいたとき担任は何を思うか

不登校になったとき担任が思うこと。
正直なところ,不登校の子が受け持つクラスにいた場合
ああ,そうか~などと思います。
どうしようかな,学校来てくれるといいななどと思いますが,それほど責任というものを感じることはないのでしょうか

この辺は,人によると思います。
一方で,受け持つたときに登校していた子が不登校になった場合,
正直,責任を感じます。なにか,学校で嫌ことがあったのかな,何がまずかったのかなどと考えます。
実際に,ケース会議
(校長,教頭,生徒指導,担任,その他カウンセラーなどの関係者も場合によっては出席)
なども行われ,どうすれば来てくれるのか,対策を考えます。

私の感想ですが,このケース会議というものは,それぞれの教員が,それぞれの経験値のもとあーだこーだと自分の知っていることや経験を感覚的に話しているだけなので,意味あるのかなとも思います。

 なので,カウンセラーや不登校支援の方が入ってくださると専門的知見から話が進むので,正直ありがたいです。
ただ,学校というのはそもそも,社会での従順な働き手を育成するという目的もあるのでそこにある一定数の割合の子がフィットしないことは,全体的に考えると当然あり得ます。
学校の仕組み自体は,戦後大きく変わっておらず,
今も昔も,連帯責任,前ならえ,運動会のそろって行進,みんなでそろって登校,授業中は姿勢よく・・などなど,未だに,不毛なことがたくさんあります。

 これらのルールは,大勢の人数を管理するために行われているものなので,ルールに対して疑問をもち,拒否反応を示す子がいても仕方はありません。担任としては,できれば,こんな不毛なことすべてやめたいとも思いますが大人数を管理するためにはやらざるを得ないことも事実です。
もっと自由にしたいですが,管理職や周りの教師との関係もあります。
それでも,できるだけ自分自身が子どもの立場になったとき,ある程度
納得ができるものだけにしたいなと考え,実践をしているつもりですが
子どもからしたらどうかは分かりません。

4 結論

不登校、学校に来ない=ネガティブなこと
このような図式に教育委員会や「身近な世間」は囚われています。
学校現場や教育委員会は,旧態依然です。

このような,図式への見方が,変わってこない限り,ジレンマによる苦しさは続くのではないでしょうか。
簡単には変わらないと思いますが,学校に行かないことに対して,
もう少し寛容であればいいなと思います。

5 追記
 学校に行くのも行かないのも自由ですが,学校に来る意義について最後に,私見を述べさせてください。
なぜ,学校に来るのか。それは,以下の3つにあると私は思います。

1 人間関係づくりの基礎を学ぶ
2 協同する楽しさを知る
3 1人では生きていけないことを知る

1 人間関係づくりの基礎を学ぶ

 どうすれば,よりよい人間関係を築くことができるのかということを学ぶ環境が学校にはあります。失敗しても,助けてくれる先生や,友達が学校にはいます。
 自分の意見ばかり主張するのではなく,人の意見を聞くことも大事であるということなどを実践的に学ぶことができます。
 学校では,ときに間違え、過ちを繰り返しながら,実践的に学ぶことができます。これは,大人になってから学ぶのでは正直遅いのではないでしょうか。
 もちろん学校ではない,フリースクールや別の場所でも構いません。ただ,義務教育なので無料なのは良いところではないでしょうか。利害関係のない場所で,学ぶことが大切だと思います。

2 協同する楽しさを知る

 教科の学習や,学級活動などすべての活動において,友達とかかわりながら学ぶことができるのが良いところです。
 例えば,図工の時間に絵を描いていれば,友達の作品に影響を受けたり,算数であれば解き方や考え方を知ったり,人間関係であれば,友達のふるまいから学んだり・・・
 これって同じ空間で,一緒に生活をしているから学ぶことができるもので,おうちに1人でいれば,youtubeや本などで,理論として学ぶことしかできません。
 学級活動では,ある行事の成功に向けて,自分たちで考え,努力し,達成する成就感を味わったりと・・・
 誰かと協同することでしか,成し遂げられない,味わえない感覚があると思います。
※ただ一方で,今の学校が,協同の押しつけをしがちなことは事実です。 運動会の組み立て体操など・・・ やらされている子どもたちにとっては,苦痛でしかないこともあります。

3 1人では生きていけないことを知る

 どんな人間であれど,1人ですべてのことをできる人はまずいないと思います。助け合い,支えられながら生きていることを学校では実感できます。
 例えば,親や周りの人に支えられていることに気付いたり,友達のありがたみに気付いたりと・・・
よりよい人生には,快適な人間関係が不可欠です。そのことに気づく機会が学校にはあります。

※一方で,これも,小学校4年生で行われているところもある「2分の1成人式」などで,押しつけになっている感も否めません。家庭環境によっては,苦しい子もなかにはいるでしょう。

こういった理由で,学校で学ぶこと自体には,意義があるのかなとも思いますが,いずれにせよ子どもも教員も学校でやらなければならない活動や,学習内容が多すぎて,いっぱいいっぱいになっている感は否めません。
 前回の記事で述べた,ビルド&ビルドというものは,このようなところにも影響が現れています。

学校に行ってもいいかなぐらいのゆるさで行くことができる,「ゆとり」もまた必要なのかもしれません。
そうすればより,学校に来る意義というものは高まるのではないでしょうか。

以上です。
お付き合いくださり、ありがとうございました。

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