下北沢は何故バンドマンの聖地になったのか?下北が生んだ名バンドたち
TBSラジオで毎週金曜日8時30分~午後1時まで放送の「金曜ボイスログ」
シンガーソングライターの臼井ミトンがパーソナリティを務める番組です。
このnote.では番組内の人気コーナー
「臼井ミトンのミュージックログ」の内容を書き起こし。
ちなみにyoutube版では動画も公開しているのでそちらも是非。
今回のテーマは…
「下北沢は何故バンドマンの聖地になったのか?
下北沢が生んだ名バンドたち」
臼井ミトンの想い出としての下北沢
下北沢と言えば何と言ってもバンドの聖地。数えきれないくらいライヴハウスがたくさんあります。今回の音楽コラムではそんな下北沢のライヴハウスの話をしたいと思うんですが、まず最初にあらかじめお断りしておきたいことがあって…僕が紹介する情報はかなり古めです。
全然最新の情報ではありません。
ほぼオジサンの思い出話として聞いてください(笑)
と言うのも、僕は中学高校6年間、下北沢が通学路だったんです。
今から20年以上前の話で1996年から2002年までですけど、その6年間は毎日下北沢にいましたし、さらに言うと僕の中高六年間はイコール、バンド活動に熱中した時期でもありますから、吉祥寺や下北沢、渋谷のライヴハウス文化に本当にドップリ浸っていたんです。
ただ、一昔前の情報とは言え、この90年代〜00年くらいの下北沢は、バンドシーンが最もアツかった時代と言っても過言ではないと思っているんです。これも「昔は良かった」的なオジサン特有の思い込みと言ってしまえばそれまでなんですけど…
でも実際のところ、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTだったりHi-STANDARDだったり、90年代初頭に下北沢で活動を始めたバンドたちがヒットして以降、彼らに追いつけ追い越せと、たくさんのバンドマンが下北沢を目指すようになったことは事実だと思います。
きっかけはライヴハウス『屋根裏』の下北沢移転
もともと吉祥寺と渋谷、新宿の間にある街ということで、おそらく70年代の頃から既に、中央線沿線のサブカル文化と渋谷新宿の都会の若者文化が交わる街ではあったと思うんですけど、それが今のようにライヴハウスだらけのバンドマンの聖地みたいな感じになったきっかけとしては、おそらく、渋谷の老舗ライヴハウス「屋根裏」が、1986年に下北沢に移転したこと。
この出来事がまず非常に大きかったと思います。
渋谷にあった「屋根裏」というのは、THE BLUE HEARTSやRCサクセションやBARBEE BOYSなど、80年代のバンドブームを象徴するような素晴らしいバンドの数々が出演していた超老舗のライヴハウスなんです。
特にTHE BLUE HEARTSやRCサクセションあたりのちょっとパンキッシュ、
あるいはブルージーな要素を持つギターロックのイメージがあったせいか、86年に渋谷から下北沢に移転してからも、結構骨太なロックバンドが多く出演しました。その代表格がTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTですね。TMGEと同世代だとギターウルフとか怒髪天とかもですけど、ギターロックバンドにとっては本当に〝登竜門〟という言葉がピッタリの小屋でした。
僕の世代だと、ヤマハのティーンズミュージックフェスティバルという
バンドコンテストの決勝戦で僕がコテンパンに打ち負かされた「てるる…」というバンド。Blankey Jet City直系のロックバンドで、歳は一個上で彼らが高校三年生で僕らが高二だったんですけど、当時からあまりに演奏が上手かったんで「あぁ、こういう人たちがプロになるのかぁ」としみじみと感動すると同時に打ちひしがれたことをよく覚えています。その後彼らはBMG JAPANからデビューして、まぁ商業的に大きな成功を収めたわけではないんですけど、彼らがこの下北沢「屋根裏」を本拠地にしていて、何度か彼らの主催イベントに呼んでもらって「屋根裏」でライヴしたのをよく覚えています。平日の夜なので、学校帰りに学ランでライヴしていました。
この「屋根裏」というお店、井の頭線沿いの雑居ビルなんですけど、一つ下のフロアがキックボクシングか何かのジムが入っていて、エレベーター乗るとその道場の汗の匂いみたいなのがムワっと漂って来て、夏場なんかはライヴハウスの受付もかなり汗臭いっていうのが凄く思い出深いですね。
今は「屋根裏」は閉店し、残ったたスタッフたちが「ろくでもない夜」という店名で営業しているみたいです。
Hi-STANDARDを輩出した下北沢SHELTER
そんな「屋根裏」というライヴハウスによって下北沢にロックの文化というものが確立されてゆく中で、90年代に入ると、新宿の超老舗ライヴハウスであるLOFTが下北沢に姉妹店を出します。それが「下北沢SHELTER」というお店です。このお店は、何と言ってもHi-STANDARDが育った小屋ということもあって、とにかくメロコア・パンクの印象が強かったですね。僕も高校生の頃このお店に何度か出たんですけど、デモテープを送るとまずは土日の昼間のオーディションライヴに出させてくれるんですよね。そこで演奏だったり集客だったりが認められると夜の良いイベントにブッキングしてくれる、みたいなね。
新宿ロフトの系列店だけあって、ステージの方の床が白黒の市松模様で、
でも天井も低いし照明がめちゃくちゃ近いから本当にステージの上が暑かったです。ここでライヴやるときは全バンド汗だくでしたよ。ジャンルもパンク系が多かったですしね。あとは、お客さん用のトイレも楽屋のトイレも和式で、それがちょっとイヤだったなぁ。今はどうかわからないですけど。
初めて下北沢SHELTERに入ったときは、「え!あのHi-STANDARDも最初はこんな小さいライヴハウスでやってたんだ!」ってその狭さに結構驚いた記憶があります。
下北沢に新しい風を吹き込んだハイラインレコーズ
この下北沢SHELTERという小屋がオープンしてから数年後の94年かな、
UKプロジェクトというインディーレーベルがClub Queというお店をオープンさせます。このUKプロジェクトというレーベルは、その名の通りもともとはブリットポップというか、90年代初頭のUKロックとかギターポップの流れを汲むレーベルなので、それまでとにかく汗臭い感じのロックやパンクしかなかった下北沢のロックシーンに新しい風を吹き込んだんですね。
しかもこのレーベル、実はClub Que以外にも下北沢の音楽シーンを象徴する名店を生み出します。
何かというとライブハウスではなくて「ハイラインレコーズ」という主に自主制作盤を扱うレコード屋さん、というかCD屋さんなんですよ。
僕の高校時代にも、都内でバンドやっていたらこのハイラインレコーズにデモテープを置いてもらうのがステイタスみたいな風潮があって、自分のデモテープ、当時は文字通りテープですよね、カセットテープです。これに自分でコメントカード書いて委託販売みたいな形でデモテープを置かせてもらえるというシステムがあったんです。
そして…BUMP OF CHICKENがデビュー
このハイラインレコードズでデモテープが売れに売れて、お店側がわざわざ独自レーベルを立ち上げてデビューさせたのが・・・・
『BUMP OF CHICKEN』です。
彼ら下積み時代は地元の千葉エリアを主に活動していてその時点で既に火が付いていたので、下北沢で純粋培養された感じでは決してないんですけど、下北のバンド文化の象徴的なスポットでもあるハイラインレコーズからデビューという、80年代終わりの「屋根裏」移転から始まった下北系ギターロックの彼らはある意味で究極の到達点というか、熟した果実だったのかな。
という気もします。
ちなみにBUMP OF CHICKENがデビュー前の下北沢時代でよくやっていた
ハコは今日紹介しきれなかったあと2つの老舗「Club 251」と惜しくも去年末に閉店してしまった「Garage」というお店なんですけど、僕は中学生の頃からずっと売れないバンドマンをやってて、色んなバンドが生まれては消えを繰り返す様を20年間ただただボーッと眺めてきて思うのは、下北沢で
ライヴやってたバンドでASIAN KUNG-FU GENERATION、フジファブリックみたいにはヒットしなかったけど、凄くカッコ良かったバンド。信じられないくらい演奏が凄さまじかったバンドって本当にたくさんあって。もう音楽やめちゃった人も、まだ頑張って続けてる人もいますけど、お茶の間の音楽番組で流れる音楽以外にも素晴らしいバンドとかアーティストって本当にたくさんいるので、このコロナ禍で大打撃を受けているライヴハウスにも是非足を運んでみて欲しいなって思います。
youtube版では動画で同様の内容をご覧いただけます。
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