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Raphael華月-天使になったギタリスト-

秋晴れが続く気持ちの良い日々です。

この時期になると必ず思い出す、
大切なこと。

天使になったギタリストのお話です。

懐かしいヴィジュアル系ファン時代

もう久しく聴かなかったV系ですが、
今年はロックスターとの出会いから
懐かしい曲をたくさん聴く日々が続きました。

私が中学生の頃、
おマセだった私は少し上の世代で大流行していた
ヴィジュアル系バンドに夢中でした。

私が大ファンだったのは、
MASCHERAというお兄さんバンド。

夢中になってファンクラブに入り、
母にお願いして熊谷ヴォーグまで
ライブに連れて行ってもらいました。

お小遣いを一生懸命ためては、
ほとんどCDやグッズに当てていました。

当時FM NACK5(埼玉)で
浅井博章さんのBEAT SHUFFLEという
ヴィジュアル系ラジオ番組があり、
毎週放送を楽しみに聴いては、
テープに録音して何度も聴いたのを思い出します。

ファンになり熱中するというのは、
MASCHERAが初めてでした。

それまでは漫画に夢中で、
絵を描くのも好きだったため
自分で描くことも楽しんでいましたが
一気に漫画やイラストより
バンドに夢中になったのを覚えています。

思春期の悩みや日々の葛藤、
友達とは違った自分の個性など
小さなモヤモヤが溢れた心を
激しくて繊細なヴィジュアルロックが
同じ温度で一掃してくれるような感覚でした。

しかし楽しい日々はそう長くなく、
大好きなMASCHERAが解散することになります。

解散ライブに行けたことは、
私にとって本当に大きな出来事となり
もう悔いはなかったのですが。

その後の失恋より大きな喪失感。
もう日々に輝きも見出せず、
あの夢中になった情熱をどこに向けていいのか
あてもなくヴィジュアル系を聴き歩いていた頃のこと。

MASCHERAほど夢中ではなかったけれど、
CDは何枚も買って雑誌記事も熟読して
好きだなーと思っていたバンドが
それまで伏せられていた年齢を公開します。

それがRaphaelでした。

Raphaelの存在

年齢を公開したバンド。

白塗りのメイクは年齢などわからず、
他のお兄さんバンドに比べたら
サウンドは荒削りな気がしたけれど…

年齢は18歳。

年上ではあるけれど、
当時の自分たちとそう変わらない。
衝撃でした。

何がどうなって、どんな経験をして、
どんな活動をしたらそうなるのか。

ここからRaphaelについて、
詳しく知りたいと興味を深めました。

バンドのメインメンバーである華月くんは
家庭や学校生活に苦悩しながら育ち、
その自分の個性を全てRaphaelの世界観で表現し、
自分に似た同世代の苦悩する子たちに
癒しと救いを与えていました。

ビジュアル系全体として、
心が繊細なファン層だった印象がありますが、
華月くんの影響から
Raphaelのファンは特に
心の柔らかな女の子たちが集まっていました。

心の病気、不登校、リストカット、
援助交際などが社会問題化した時代でした。

女の子たちは傷ついていました。

そんな女の子たちの気持ちを強く惹きつけ、
一人じゃないよと支え続けた存在、
それが華月くんでした。

Raphaelは好きだけれど、
そんな事情もあって少し遠目から見ており、
2000年春に日本武道館で行われた卒業ライブのことを
行ってみたかったなーと思っていたのです。

卒業ライブとは解散ライブではなく、
彼らが通いきれなかった高校卒業式の代わりとして
華々しく日本武道館で行われたライブでした。

当時私は受験勉強を始めていた記憶があります。

だから、行ってみたいけれど、
また今度でいいや。
解散ライブではないんだし。

と、思ったことをはっきりと覚えています。

当時の私にとって不安だったのは解散でした。
それよりもっと大きな喪失があるとは、
この後の衝撃で私は学びます。

2000.10.31 華月 急逝

日本武道館での卒業ライブからわずか半年後のことでした。

卒業を経た彼らは、
厚いメイクと派手な衣装を脱ぎ
素顔でカジュアルに活動することも増えていました。

まだ若々しく、
今の私が思い返せば
とても可愛らしいお顔です。

彼らにとって大きな節目となった卒業を経て、
今度は二十歳の節目を控えていました。

大人は汚いもの。
大人は嘘つき。
大人になんかなりたくない。

そう綴られた曲が多数あり、
そんな彼らがどんな大人になるのか、
後を行く私たちは
憧れの存在を見守っていたのです。

夏の日の彼らは爽やかでした。

これまで見ていた彼らとは、
まるで違いました。
そんな様子が嬉しくて、
希望を感じていました。

そのすぐ後の秋。

2000年10月31日、
華月くんが急逝します。

死因は薬物の過剰摂取でした。
彼はずっと、ずっと、
痛む心を抱えながら
みんなを先導しようと頑張っていました。
自分に似た、か弱き心を守るために。

ビジュアル界では
1998年にX Japan hide、
1999年にMALICE MIZER kami、
と大きな訃報が続いていました。

そのため、華月くんの訃報も
ワイドショーで大々的に取り上げられました。

やわらかな心で、
傷だらけになりながら、
やっとの思いで、
華月に支えられて
生きていた女の子たち。

後を追いたい。
でも行ってはいけない。

みんな、
今こそしっかり手を取り合おう。

残されたメンバーとファンたちの、
あの時の空気には強いものがありました。

バンド名のラファエルとは『癒しの天使』
活動にも多く天使のモチーフが使われていました。

“華月は本当に天使になったんだ”

あの辛い時期を乗り越えるため、
誰からともなく聞こえてきた言葉でした。

新曲リリース『秋風の狂詩曲』

まだパニック状態が続く、
亡くなった翌日は新曲のリリース日でした。

この頃はまだまだ、
好きなアーティストのCDを予約して買う時代。

リリース日はとても大きな日。
この曲の中に亡くなった理由のヒントがあるではと、
喪失感と共になんとも言えない気持ちで
彼の遺した最後の作品を聴きました。

それは、
とても美しい曲でした。

この曲は元々発売が予定されていた作品で、
華月くんが亡くなったことにより
未発表曲などのメモリアル作品が
この後続くこととなります。

『秋風の狂詩曲』よりも、
亡くなった後にファンの間で人気が再燃したのは
『不滅花』という曲でした。

華月くんのことをずっと忘れない。

メモリアル作品のリリースは、
それを手にしたいから
なんとかこの日々を乗り越えようとする
ファンにとっての短期目標となりました。

その日までは頑張ろう。

それを何度も繰り返し、
みんなで傷だらけの弱い心を
支えあっていたような印象でした。

彼は目指した大人とは

夏にリリースされた『Evergreen』。

この曲は私にとっても、
思い入れの大きな曲となります。

華月くんが亡くなった後、
私は彼の想いをもう一度確かめようと
雑誌やメディアを見直す日々が続きました。

そんな中で、
私が見つけたもの。

『気づけば失う感性 握りしめたまま
僕はこのまま輝く 大人になってゆく
逆らえない時の中で 僕ができる事
心の中は変わらぬ 素敵な大人になる事』
       ※『Evergreen』より抜粋

ある雑誌のインタビューで、
素敵な大人とは?と聞かれて
彼はこう答えていました。

「トトロの見える大人」

当時まだ中学生だった私には、
この言葉の意味はよくわかりませんでした。
でも少し、わかるような気もする。

彼は何を感じてどう過ごし、
そして生きられなかったその先で
何を成そうとしていたのか。

当時の私は、
受験の時期も重なり
自分の将来について悩んでいました。

自分にとって音楽とは。
どんな仕事がしたいのか。

華月くんのことと、
自分自身のこと。

ファンという立場ではなく、
追いかけるものがない状態で近くから見た世界。

心に傷を抱えて生きる人たち。

彼の成そうとしたこと、
成せなかったこと。

私には何ができるのか。 

彼のようなスターにはなれずとも。

彼との出会いが、
私の人生を積み上げる
きっかけとなりました。

心、癒し、命、
そして、音楽。

最後に

華月くんから学んだもう一つの大きなことは、
興味を持ったら、やりたいことがあれば、
いますぐその時にしか機会はないということです。

私はこのことをきっかけに
少しでも見たい、気になるなら、
その時に必ずやることに決めました。

あの時、卒業ライブが見たかったから。

華月くんのことは、
私が19歳になる時まで
大きな課題として
大切に抱いてきました。

不思議なことに、
私がちょうど19歳になる頃、
もう一つ私の人生を決定づける
カリスマ的アーティストとの
出会いを果たします。

それ以降は、
たまに思い出す程度で、
自然と身についたように
華月くんのことで考え続けたテーマを
自分の仕事に取り入れてきました。

予期せぬ長期休業から、
よちよち歩き始めた私ですが。

どうしてまた再び、
この大切なことを
復習することとなったのか。

その続きはまたいつか。
本日はここまでとします。

華月くん、ありがとう。


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