プロポーズ。
「男性にプロポーズをされて、女性が何も言わずに笑顔でいる、これは Yes / No どちらだ?」
イスラム教の授業で教授が私に訊いた。
「(YESでもNOでもなく)驚いていて言葉がでないのでしょう」と私は答えた。
教授の答えは、YESのようである。どうやら、この国の文化では女性がYESとはっきりと言うのは女性らしくないとされているようで、このような答え方になるらしい。
“沈黙も一つの言語でメッセージである” という言葉をインターネットで見かけてこのようなことを思い出した。
かく言う私も “沈黙” という “言語” をよく使う。
「Lは俺との子どもが欲しいのか」と昔付き合っていた人に聞かれたことがある。
なぜ「結婚」ではなく「子ども」の話から切り出してくるかというと、この人は直接的な表現を使わない人であり、なおかつ結婚の話は私たちの間ではタブーな話という暗黙の了解があった。
この人はありとあらゆる方法で私が彼と一緒になりたいのか否かを確認してきた。本当にありとあらゆる方法でだ。
たとえば、結婚の映画を見せて、私の反応を観察し、また自分の言葉に対する私の反応も彼はつぶさに観察していた。
私は彼が観察していることが分かっていたから、無表情と無反応で貫き通した。
「俺とL の子ども」(できたわけではなく、彼が妄想の中で語っている)という話をして、私の反応を見てきたときには、相手の眼をチラリと見て、その中にわたしを観察している眼を、わたしは無表情で確認した。
これらは「沈黙」による回答である。
これで、私は何を彼に伝えたかったのだろうか。答えは「自分の考えを一切読まれたくない」である。YESともNOとも思われたくなかった。
彼は、私と結婚の話をする前に、結婚できる状態にならなくてはならなかったからだ。そうでないと、私の結婚の意図のあるなしにかかわらず、話し合いなどできるはずもない。
「プロポーズできる用意をしてから言ってこい」というのが私の本音である。
それを伝えればいいだろう―と思うかもしれないが、彼の性格上、そのようなことを言うと逆上して勝手に怒るので、言わなかった。
もう少し言い方をやわらかくすれば彼を逆上させることはなかったかもしれない。
「あなたと一緒になりたい」
心の底からそう言ったなら、彼は何もかも捨ててわたしのところへ来たかもしれない。でも、わたしは、それだけは絶対に言いたくなかった。
なぜなら、彼がすべてを捨てたとき、その全責任を負うのは彼である。わたしも多少は影響を受けるけれども、彼の負うものとは比較にならない。
その彼の負う責任を考えたとき、私はどうしても「結婚」という言葉を自分から言うことはできなかった。
彼がそれだけの覚悟を持って決断して結婚したいと思ったのであれば、わたしは結婚しようと思っていた(今はそうであっても結婚したくないので、その意志は別れる前に伝えてある)。
でも、彼としては、自分がすべてを捨てる前に私の気持ちを確認しておきたかったのだろうと思う。私と結婚するという決断がなければ彼は何も失うものはないのだから。
まぁ、それで彼は私に探りを入れたけれども、読み取れなかったので、私に直接聞くしかなかったのである。
「おい、俺との間に子どもができたら生むのか生まないのか」とまではっきりと聞いてきた。
私はいつも通り無視した。
「おい、どっちなんだ、答えろ」と、今度ははっきりと聞いてきた。話を反らしてもしつこく食い下がってくるので、何か言わざるを得なかった。
「できたときに考える」
「今、その話はしたくない」
などと答えてきた。そのやり取りがしばらく続いたあと、私はついこう口走ってしまった。
「私が子どもを堕ろせるはずなんてないでしょ」と。
相手は嬉しそうであった。
「生むのか?生むのか?」と聞くので、うん、とだけ答えた。
「迎えに来るから」と、彼は言って、去っていった。
ということなので、彼としては準備を進める予定だったのだろう。
私は彼の決意は本気だとは思っていたけれども、これが実現化するかどうかは別の話である。私は彼がこの手の交渉を上手くできるとは思っていなかった。むしろ、不利な立場に立たされるだろうと予測していたため、わたしは彼との結婚が実現化することを想定して人生設計をするのは危険だと思った。でも、ここで私が彼に交渉の仕方が悪いなどと言えるはずがない。プライドが高い人だったので、そんなことをしたら喧嘩になるのは分かっていたので、そんなことをするつもり自体がなかった。
案の定、彼は途中から弱腰になってきた。それどころか泣き言を言うようにもなった。
『ああ、交渉決裂ね』と、私は思い、私は彼との結婚についての考えを捨てなければいけないと思い始めた。
冷静に書いているが、私にも苦しみがあった。そのときに逃げたのが、受験勉強であった。
この交渉決裂には私は正直絶望したが、でも、彼と結婚しなかったからこの大学に来ることができ、留学もできたのだと思うと、あのときの苦しみ以上に得るものが多いので、人間の苦しみも過ぎてしまえばあながち悪いものでもないかもしれないなぁ、と思うのである。