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浮世絵選びは、お客様への想いをこめた挑戦状。浮世絵専門店 原書房vol.2

2025年の大河ドラマの主役は、浮世絵の版元・蔦屋重三郎だ。絵師の歌麿・写楽を世に送り出した、江戸時代のコンテンツキングである。そもそも風俗画として庶民階級から浮世絵が生まれたのは、1600年代後半だといわれる。およそ300年後の現在、世界中へとファン層を広げ、市場価値は上がりつ続ける一方だ。

折も折、4回シリーズで話をうかがっているナビゲーターは、国内外の目の肥えた愛好家に信頼される浮世絵の老舗画廊・原書房の原敏之氏だ。浮世絵という繊細な紙の作品が行き交う裏側にある、ビジネスの心構えについて聞いた。

ーー「アートを見て何かを感じられたらどんなに楽しいだろう……!」、美術館でそう思った人は多いかもしれない。この連載は、そういう方々のために存在している。日常にデジタルツールがあふれるにつれ、いかに速く正解を得るかというタイムパフォーマンスの技術には長けていくが、美術品を見て心が動くという経験からは遠のいているように感じられるからだ。しかし、この時代にあってアートを見るアナログな感覚をビジネスとしてシビアに活用しているのが『美術商』たちである。

DXやAIの発展の加速に対して「アート思考」という言葉がブームになっている。意味はさまざまに解釈されているが、ここではアートを鑑賞する感性を身につけ、感動に至ることができる道筋と捉えてみたい。この『美術商に学ぶアート思考』では、アートビジネスの各分野からトップクラスの美術商を招き、プロの見方の奥底にあるものを明らかにしていく。

ロジカルに割り切ることが良かれとされる時代だからこそ、感じる心を研ぎ澄ませ、美術品がもたらす味わいに身を任せてみよう。

話し手:原敏之(原書房 代表)

売れなくていいかと値付けした作品が売れていく

ーー今日は浮世絵市場やビジネスへの考え方について聞かせてください。

原:よろしくお願いします。

ーー前回の取材の帰りに、スタッフの方にアドバイスをいただいて初めて浮世絵を買いました。鏑木清方(かぶらき・きよかた。明治期から昭和期にかけての浮世絵師・日本画家)のモダンな口絵(単行本、雑誌などの巻頭に入れられた木版画)です。ちょっとしたレストランのコース料理の値段で素晴らしい作品を手に入れられたのはうれしかったです。

原:うちは、初めて来てくださった方に「これがおすすめです」というのはやらないんですよ。「こういうのちょっといいね」というのがあったらそこから「でしたら、こういうのもありますよ」というふうに広げていく感じです。
というのは、おすすめといっても本当に人によって全然違うのです。値段を基準に選ぶのであれば、うちの店には、「1万円」という引き出しがありますが、それですとやはり問題がある品も多いんですよね。虫食いがあったり、3枚続きのうちの1枚しかないですとか。それをおわかりのうえならよいのですが、どうせ最初に買うのなら持っていて「きれいだな。いいな」と思えるものを買った方がいいと思います。自分で持っていて気持ちがよいものがおすすめです。

ーー飾り方にコツはありますか。

原:浮世絵はだいたい同じフォーマットなので、額が一つあれば縦にするか横にするかだけです。何枚か持って、時々掛け替えればその分長持ちします。
西洋絵画もそうですけど、飾りっぱなしよりは休ませてあげることが大切です。休ませて状態が戻るわけではないんですけど、やはりどうやっても普通の家の環境である限り劣化は避けられないのです。気持ちとしては、自分が一時期作品を所有しているだけであって、次の時代に渡していくものですから大切にしていただきたいです。
保管するときは防虫剤を入れてください。除湿剤より、むしろ防虫剤の方が大事です。

ーーとは言え、初めて浮世絵を買うのはやはり勇気がいりました。専門家として失敗が少ない無難なものとしては何でしょうか。

原:飾ることも前提にするなら、あくの強い役者絵とかではなく、普通の風景画や美人画になると思います。

ーー原さんご自身が初めて自分で手に入れた浮世絵は何ですか。

原:好きで自分のためだけに買ったというものは、ないですね。

ーーないんですか。

原:いや、「これ、すごくいいな。もう売れなくてもいいや! 売れなかった自分が持ってればいいんだから」という気持ちで買うものは当然あります。ただもう少し前の時代でしたら、そのまま持って自分のコレクションにしてしまうというのもありだったと思うんです。今その余裕がないわけではないのですが、心理的に自分で買ってそのまま自分で持っておくよりも、やはり多くの人にこれを見せてあげたいんですよ。そういう作品は、年に2回出しているカタログに載せています。
ただそういうのから売れていってしまうんですね(笑)もう、気持ちのうえでは「買えるものなら買ってみろ!」というくらいの勢いで値段をつけたりするんですけど、いつの間にか旅立ってしまうんです。

ーーお客さま思いでありながら、ある種の挑戦状を送っているように聞こえます。

原:作品について、自分の思う価値はやはり値段に換算できないものです。もちろん市場的にこの作家や作品はいくらという相場はあります。それに浮世絵では同じ図柄はいっぱいあるんですよ。
そのなかにあって「これだけ刷りが良くてきれいで、こんなの他にないでしょう!」というものには、そういう値段をつけてしかるべきだと思うんですよね。特に自分が好きだったりするとどうしてもそういう値段をつけてしまうんです(笑)
ただ、そうやって「売れなくてもいいか」くらいに思って根付けした作品が売れていくのを何度も経験してますから、お客様は自分の思いに共感してくださるというか、やはりいいものはいいということなのでしょうね。

ーーそうなんですね。個人的な話で恐縮ですが、私は会社勤務が長く数字を中心にものを見る習慣があります。売上を生み出しそうもないものは市場には出さないという判断をしますが、サラリーマンの仕事と美術品の販売は全く発想が違うなと思いました。

原:自分が欲しいかどうかは重要なファクターなんです。

ーー過去に挑戦的な気持ちで値段をつけられたのは、どんな作品でしたか。

原:歌川国芳の『八犬伝』という8枚揃いのシリーズがあるんですけど、そのすべてが揃っていて、刷りも状態もものすごく良い品が業者の交換会で出たことがありました。その頃の自分はこの店の中でまだ経験のある方ではなかったので、当時としては死ぬ気で買いました。まあ、死ぬなんて大げさですけど、それでも歯を食いしばって手を挙げて落札したんです。数秒で作品を見て判断しなくてはならないので、惚れた作品とは言えトコトンまで競るのは勇気がいりましたね。あれも自分のなかでは結構な値段をつけてカタログに載せたら、しばらく残っていましたが、いつの間にか売れてしまいましたね。いまだにあの刷りを超える作品には出会っていません。

歌川国芳 曲亭翁精著八犬士随一 8枚揃 天保7年~9年 (1836-38)


 

海外マーケットと浮世絵


ーーお客様も同様に何かを感じるんですね。

原:そういうのが時々あるわけです。一番ショックなのは、そういう気合で値づけした品を海外の業者に買われてしまうことですね。

ーー原書房さんのカタログにある作品を、これはお買い得だと思って海外の業者さんが買っていくということですね。彼らから見れば、これは自分のお客さまに持っていけばさらに高値で買ってくれるという算段もあるのでしょう。

原:ええ。海外の業者もそういう意味でライバルになってるわけです。しかし、彼らが求めるのは、単純に状態の良いきれいな作品です。日本人とは異なる思考や見方の違いを逆手にとって、海外へ行って買うときには、現地で人気がないけど日本では「これは面白い」と思われそうなものを買ってたりはしますよ。クリスティーズでオークションをやっていた時も、向こうのオークションにお客として参加したときもそういう視点で見ていました。

ーー海外のマーケットと日本のマーケットの両方を俯瞰されているのですね。今年の3月に葛飾北斎の「富嶽三十六景」 全作品が5億4000万円で落札されましたね。

原:葛飾北斎の、特にあのシリーズは揃いで出ることはそうそうあることではないので、足していけばやっぱ大体そのぐらいになるんですよね。海外での浮世絵の勢いはすごいです。今向こうでオークションへ行っても、もう買えるものはないです。

ーーみんなが買った後ということですか。

原:いえ、もうお客さまが強すぎて。今はオークション会社も今SNSやインターネットを使って全世界の顧客を相手に直接商売をしていますよね。以前は私のような業者でも少し安く買える隙のようなものがあったんですけど、以前の状況とは変わってきています。

ーーどのようにですか。

原:オークション会社が扱うものが段々変わっていってるということがあります。例えば、昔は1枚で売れる北斎でも、そうじゃないもの何枚かとあわせてまとめて出したりすることがあったんですよね。
今はそういうのはやらず、一点で何千ドルになるものしか出品されなくなりました。誰でも知っているような有名作品がインターネットに出て個人のお客様が直接競り合う状態ですから、業者は出る幕がないですよ。

ーー今後はどう浮世絵にたずさわっていかれますか。

原:今はもう一般参加のオークションで買うというのは、商売のボリュームでは、それほど大きな部分を占めていないんですよ。自分のお客さまから「これを買ってほしい」と頼まれて買い付けすることは当然あります。
コロナ前までは、収穫はなくても行かなければわからないこともあるし、向こうの空気感を感じるということがモチベーションで行っていたのですが、今は行っても仕方ないという感じです。一方で日本国内の仕事が結構忙しくなってきています。

ーー昔は海外へ仕入れに行かれていましたが、今は国内で仕入れることでまわっているということですね。

原:コロナ前はヨーロッパやアメリカ、香港などで開催されるオークションのほか、ニューヨークで開催されるアジア美術の催事「アジアウィーク」にも出店しました。ヨーロッパの業者さんが年2回開催する交換会には、最初の回から父がずっと参加していました。そういうところで売ったり買ったりしていたのです。業者同士の交流の場としても重要でしたが、そういう機会が減ってしまったのは今ちょっと残念です。その反面、日本の交換会に参加して売買する海外の業者さんが増えましたね。円安の影響もあって、彼らは強いですよ。

ーー海外のマーケットが日本の浮世絵市場に大きな影響を与えているんですね。

原:マーケットはとてもグローバルで広いです。お客さまも多いし。日本の経済が悪くなれば海外に流れ、その逆もまた然りですから、そういう意味であまり経済の影響を受けないです。それが浮世絵の強さだと思います。マーケットが国内に限られるような美術品だと経済の影響を受けやすいでしょうね。ただ、ものは少なくなってきています。

ーー原さんは、古書の協同組合の交換会の会長をなさっていますよね。

原:東京都古書籍商業協同組合で、その中に明治古典会という同人会があり、主に明治期の文学作品を扱い、業者間で毎週交換会を行っています。浮世絵は以前からありますが、最近は近現代の美術品など幅広い美術品も出るお湯になりました。ちょうど代替わりの時期で昨年から私の世代が会長になるようになったんです。初めての大役ですし、毎週なので結構大変です。
他の美術骨董の交換会と同様、基本的にはお客様から仕入れたけど自分のお店に向かないものとか自分では価値がわからないものを出品して、自分に向くものを買ってくるわけです。

ーーご自分たちが仕入れてきたものをここで広げて、そこから先はそれぞれの専門家が仕入れていくという形なんですね。

原:同時会ですが、古書組合員ならだれでも参加できるので、いろいろなジャンルの品物が集まります。そこで自分の欲しいものを買うという流れです。お客さんから仕入れた浮世絵をそのまま出すということもあります。会長という立場上、少しは会の出来高も作らないと格好がつかないですし。

今も超えられないイギリス人のボス

ーー目指す方はいますか。

原:何と言ってもクリスティーズで働いていたときの日本美術部門のボスだったセバスチャン・イザード氏です。すごい方です。私より少し前にクリスティーズをお辞めになりましたが、そこでの経験が長かったので、良いお客様を持っているし、”もの”もわかるし、人柄もよいのでお客さんに信頼されてビジネスをされているので、良いものが集まってきます。

ーー第1回でお話が出た、原さんにクリスティーズで働かないかと声をかけたイギリス人の方ですね。どんなところがすごいのですか。

原:なんといっても圧倒的な知識と経験です。そもそも外国人が日本人を相手に日本美術の商売をしているのです。さらに浮世絵や和本に加えて、陶磁器などもわかる。物の価値が分かり、それに値段がつけられ、更にアカデミックな説明もできる。そういう人はなかなかいません。3次元のものと2次元のものを見る眼は違うと彼は言っていましたが、その両方どちらもできるのです。オークションハウスにいたから養われたというのはあると思います。
彼はもともと浮世絵が好きで、歌川国貞(江戸時代の浮世絵師。のちの三代目歌川豊国)の研究で博士号をとりました。その方がクリスティーズに入ってから急に浮世絵のマーケットが成長しましたから、浮世絵人気の立役者であり、その功績は非常に大きいと思います。論文で日本の内山記念賞を受賞されたり、世界中から認められている専門家です。ちょっと怖い顔をしてますけど、人間的にすごくチャーミングな方です。

ーー彼との関係を象徴するような思い出のある作品はありますか。

原:勝川春宵(かつかわしゅんしょう)「曽我年代記」です。日本に帰国後、イザード氏のギャラリーを訪問した際に出会って、初めて「カッコいい!」と思い切って買った役者絵です。役者絵では珍しい「柱絵」という判型で、林忠正・ヴェヴェール(Henri Vever)コレクションを経たという来歴もよいものです。


勝川春章 「曽我年代記」 初代中村仲蔵の工藤祐経 明和8年 (1771)

ーー良い先輩をお持ちですね。

原:父がわりと早い時期から海外のオークションに参加した関係で、彼がいろいろ店に聞きに来ていたそうです。その頃の私はまだ黄色い帽子をかぶった小学生でした。当時からのつきあいです。日本美術のディーラーとしては彼がトップだと思います。

ーーこれほどすごい方と出会って成長させてもらえたのはすばらしいですね。

原:ええ、彼を失望させない良い仕事をして行きたいと思っています。(vol.3へ続く)

《終わり》

原敏之
1970年生まれ。原書房の3代目として幼少期より浮世絵に囲まれ育つ。1995年より老舗オークション会社クリスティーズの日本美術部門担当としてロンドンとニューヨークに赴任。現在はその慧眼を生かして国内外のコレクター、美術館などに浮世絵を売買している。

原書房
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-3
営業時間:火~土曜日 10:00~18:00 / 定休日:日・月・祝
TEL:03-5212-7801

企画・取材執筆:杉村五帆(すぎむら・いつほ)

執筆者プロフィール
杉村五帆(すぎむら・いつほ)。株式会社VOICE OF ART 代表取締役。20年あまり一般企業に勤務した後、イギリス貴族出身のアートディーラーにをビジネスパートナーに持つゲージギャラリー加藤昌孝氏に師事し、40代でアートビジネスの道へ進む。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなど美術品の価値をシビアな眼で見抜くプロたちによる講演の主催、執筆、アートディーリングを行う。美術による知的好奇心の喚起、さらに人生とビジネスに与える好影響について日々探究している。
https://www.voiceofart.jp/




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