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アートは無機質のなかでこそ活きる有機質。浮世絵専門店 原書房vol.4

昨今、アートコレクションを行うビジネスパーソンが増えている。現在、この連載で話をうかがっている浮世絵の老舗画廊・原書房の原敏之氏のもとへも国内外から多くの愛好家がやってくるという。そのなかでも今も忘れらないお客様について尋ねるとともに、理想の浮世絵とめぐり逢うために買い手として心がけたい点について聞いた。

ーー「アートを見て何かを感じられたらどんなに楽しいだろう……!」、美術館でそう思った人は多いかもしれない。この連載は、そういう方々のために存在している。日常にデジタルツールがあふれるにつれ、いかに速く正解を得るかというタイムパフォーマンスの技術には長けていくが、美術品を見て心が動くという経験からは遠のいているように感じられるからだ。しかし、この時代にあってアートを見るアナログな感覚をビジネスとしてシビアに活用しているのが『美術商』たちである。

DXやAIの発展の加速に対して「アート思考」という言葉がブームになっている。意味はさまざまに解釈されているが、ここではアートを鑑賞する感性を身につけ、感動に至ることができる道筋と捉えてみたい。この『美術商に学ぶアート思考』では、アートビジネスの各分野からトップクラスの美術商を招き、プロの見方の奥底にあるものを明らかにしていく。

ロジカルに割り切ることが良かれとされる時代だからこそ、感じる心を研ぎ澄ませ、美術品がもたらす味わいに身を任せてみよう。

話し手:原敏之(原書房 代表)

初めての浮世絵画廊で理想の作品と出会うために

ーー今日は最終回です。画廊に来店するときの心がけや忘れられないお客様についてお聞かせください。

原:よろしくお願いします。

ーー浮世絵画廊をやっていてよかったと感じたことはありますか。

原:あります。コロナ禍で外出禁止のとき、花見もしてはいけないと言われていた時期がありました。そのときお店は閉まってるけど、私はここで仕事をしていました。「これからどうなるんだろう」と不安になっていたときに、店に飾ってあった歌川広重の花見にずいぶん癒されましたね。

歌川広重 武州小金井堤満花之図 3枚続

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ーー広重は世の中がそういう風になって、そんな状態で自分の作品に救われている人がいるとは思わなかったでしょう。ところで初めて画廊に入るときに心がけたいことはなんでしょうか。

原:うちは誰でもウェルカムです。ただ、あまりにも浮世絵通のように振舞う方にはこちらも構えてしまうことがあります。プロとしては「もっと知りたいんです」という姿勢のほうがいろいろなことを伝えやすくなるものですから。それにコミュニケーションをとってお客さまのことを知らないと、あまり見せられない作品もあるのです。そういう状況だと「あの人には見せているのになぜ自分には見せてくれないんだ」と感じる場面もあるでしょう。心が痛みますけどそこは仕方がないと思っていただきたいです。あとは「金ならあるんや!」というアピールも、店側としてはテンションが下がってしまうときがあります。決して下手に出てほしいということではありませんよ。私たちとお客様は対等だと思っています。価値と喜びを共有できて、作品を大切にしていただけそうなお客様にはいろいろお見せしたくなりますね。

ーーお客さまサイドとしても店の人にいかに信頼してもらうかを意識することが、良い作品とのめぐり合いにおいて大切だということですね。

原:ええ、お客さまが品物を見るのと同時に、こちら側はお客さまを見るのです。もちろん、人によって値段を変えることはありませんが、「この人には、これをすすめたい」という気持ちが生まれるのは、やはり人間ですからあります。何でもいいとお見せしているわけではないのです。

ーー客側としてそういう心情を知っておけてよかったです。

忘れられない粋で鯔背なコレクター列伝

ーー忘れられないお客様はいらっしゃいますか。

原:父が、デパートで展示会をやってたときにふらっと来たお客さまが、壁にかかってる川瀬巴水の良い品を片っ端から買って行かれたことがありました。それ以降店にもずっと来てくださいました。「こういうコレクションを作りたいんだ」と明確なイメージをお持ちだったんです。その後も巴水に限らず浮世絵でも父がお勧めする一級品をお買い上げいただき、その方は亡くなるまで蒐集を続けられました。今はご家族が美術館を持たれています。川瀬巴水を全部持っているうえに、あれだけ状態がよく、きれいな品を揃えた美術館はないんじゃないかな。今うちがあるのは、その方のおかげです。

ーー自分一人ではコレクションは成立しないんですね。

原:その方は他の店からは買ってないはずなんです。いろいろなところに「こういった作品を探してほしい」と言ってしまうと、浮世絵の交換会というのがあるのでそこに出たときに、みんな同じお客さまのために競るわけですから、かえって高くついてしまうんですね。

ーー確実な信頼できる一つの窓口に集中した方がいいということですね。

原:そういう特定なものを探している場合は、いろいろなところに関わらず、「もうここからしか買わない」という姿勢を一貫されるのがいいです。他で買うにしても「オークションに出ているので買ってほしい」という方法のほうが多少経費はかかるけど、結果的には良いものが集まってきます。これは基本として心がけたいことです。

ーートップコレクターは、画廊との付き合いを心得てらっしゃるということですね。

原:もちろん、そうではない方もたくさんおられます。特に何を探してるとおっしゃいませんが、良いものばかり買われて、他のギャラリーからも買われている。いろいろなところで買うのは当然の話なのです。しかし、特に何かにフォーカスをしてコレクションを作りたいということなら、信頼できる画廊を見つけるのがいいです。

ーー普通の世界からは想像がつかない内情です。

原:そういえば、もう一人忘れられないお客様がいらっしゃいました。もうご存命ではないのですが、豪快な人だったんですよ。確か商社で昔はすごく働いて、すごく遊んでいた人らしいんです。
私が店に入ったとき、その方は仕事を辞めてたまにちょっと買っていかれたりしていました。すごく良いものをお集めになっていましたね。お金があったのでしょうが、ある時からだんだん売りに来るようになられまして。遊びも大好きな方で「これ売って今から吉原に行くんだ」っておっしゃるわけです。その時、八十何歳になってるんですよ。

ーー大人の男性ですね。

原:もう本当に粋なんです。着物なんかすごい良いものをお召しになって。それで何を話すかというと、吉原の地図を広げて「このお店の誰がいいんだ」とか、そんな会話です。ウチは一階が占いの本の専門店なのですが、その方はその事務所にあるエレベーターで二階のギャラリー上がってくるんです。ある時は、その事務所に積んであった値付け前の本を「これちょうだい」と二階に持ってき来たんです。その本が「おっぱい占い」だったり。目利きのコレクターであり、面白い人でしたね。

ーーそういう活力や情熱のような感覚は、アートや美とリンクしてるものがある気がします。

原:そうだと思いますね。でも投資で集めていたのではなく、純粋に好きで買って、結果的に最後は結構いい値段で売れていったわけです。

ーーご自身の目で集められていたんですか。

原:ええ。そういうお客さまだったのでこちらも仕入れてご覧いただくこともしましたね。すごく小柄な方なんですが、豪快で。昔はそういうインパクトが強いコレクターの方が多かったですね。そういった方は他にもいますけど、共通してるのは自分が好きだから集めているということです。

ーー先日、京都の野村美術館へ行きました。野村証券の創業者が集めた日本美術コレクションが展示されています。そのコレクションの一貫性に執念を感じました。私はそういうコレクターの方の、収集欲は美しいと思って鑑賞したことを思い出しました。

原:古くからの財閥系の方のコレクションってやはりすごいですよね。国宝とか重要文化財が入っていて「よくぞここまで集めた」というレベルで。そうなると良いものが自然に集まってくるようになるのでしょうね。

ーーそういうコレクターにまつわる話を調べると、横に必ず目利きの方がいますね。原さんのような方に探してもらって、一緒にコレクションを作っていくようです。画廊にしろ、コレクターにしろ、自分の感性を信じ、貫く勇気ある人たちだというのが感想です。

原:他の人は知らないけど自分だけが知ってるような知識を得ることも大切です。一枚の浮世絵を見て「この人、何を持っているんだろう」とか「何を食べているんだろう」とか「何をしている動作なんだろう」とか、そういうのをずっと考えることです。そこでかんざしが猫の形になっているということを発見したなら、自分しか知らないその知識を「これはもうこういうものなんだ」と信じるわけです。自分の中の価値を信じなければ、この商売をやっていられません。
だからそういうお客さまから「そうそう、これいいよね」と言われたときは、やはりうれしいですよね。

迷ったら負け

ーー読者へのメッセージをお願いします。

原:DXやAI化でデジタルが発展するなかで、美術品への需要ばかりが増え、市場では良い美術品が少なくなっています。作品とは一期一会の出会いなので、良いと思ったら早く買っておく方がいいです。迷ったら負け。

ーー「迷ったら負け」ですか。明言ですね(笑)

原:実際にお客様に「こんなに良い品は、本当になかなかないですよ」とおすすめしたときに、あれこれと悩まれているうちに他の方が手に入れてしまう。ためらってしまう方は大体何も買えないで終わることが実際に多いのです。
値段が下がるのを待つというのであれば、うちでは値引きはしません。海外の方は必ずといっていいほど「ベストプライス(ギリギリの値段)はいくらだ」と聞くのですが、今までのお客様には値引きをしなかったのに、こういった方々に「〇〇円でいいですよ」と値引きをしてしまったら、ずっとコレクションを作ってきた人たちに対してとても失礼なことですから。
値段にかかわらず本当に良いものを集めたいと思っている方と、いつも値引きを聞かれる方だとどうしても後者のほうが良い品をおすすめする順番が2番手3番手になってしまうわけです。
店の姿勢としても「このお客さまに絶対売ってやろう」と吹っかけて、買わないと言われたら値下げするという、そういうことはしません。それはそれでなかなか勇気のいることなのですが、誰にも同じ値段というのが商売の基本です。それが、うちがお客さまに信用されてきた理由だと思うのです。

美しいものを身の回りに置きたい

ーー感性の磨き方について教えてください。

原:浮世絵に関して言えば、良いものをたくさん見ること。見るだけではなく、買うこと、所有することです。
眼を養うということであれば、刷りの状態、色が残っているかなど、そういったことをわかっているということです。それによって同じ作品でも全く値段が違ってくるのですから、ただ、それは感性とは別の話になりますけど。
感性の磨き方としては、個人的には「好きかどうか」「波長があうかどうか」ではないですか。皿を買うのでも「これはいいな、きれいだな」「これは好きじゃないな」とそういうことを常に感じながら選ぶわけです。

ーー原さんにとってアートを通じて得られる感動とは何ですか。
原:やはり自分の身の回りには美しいものを置いておきたいですよね。そうでなければ、私は生活をしててつまらないと感じるんです。一方で本当に何でもいい方はやはりいらっしゃいます。家具も白一色でいいですとか。それでもその中にやはり1つ何か自分の好きなものがある、それはすごく幸せじゃないですか。

ーー今はミニマリストが人気で、世間では物がないのがいいと言われます。

原:無機質感がブームだったりしますよね。その中に有機物のようにアートがあるという、そんな感じに近いですかね。花が生けてあるとか。何もない生活って寂しいじゃないですか。心が渇いていくようで。

ーーそれは、絵になりますね。

原:別に高いものじゃなくてもいいし。別に時代背景とか知らなくても「このグラスの形が美しいから」でいいのではないでしょうか。

ーーありがとうございました。

《終わり》

原敏之
1970年生まれ。原書房の3代目として幼少期より浮世絵に囲まれ育つ。1995年より老舗オークション会社クリスティーズの日本美術部門担当としてロンドンとニューヨークに赴任。現在はその慧眼を生かして国内外のコレクター、美術館などに浮世絵を売買している。

原書房
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-3
営業時間:火~土曜日 10:00~18:00 / 定休日:日・月・祝
TEL:03-5212-7801

企画・取材執筆:杉村五帆(すぎむら・いつほ)

執筆者プロフィール
杉村五帆(すぎむら・いつほ)。株式会社VOICE OF ART 代表取締役。20年あまり一般企業に勤務した後、イギリス貴族出身のアートディーラーにをビジネスパートナーに持つゲージギャラリー加藤昌孝氏に師事し、40代でアートビジネスの道へ進む。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなど美術品の価値をシビアな眼で見抜くプロたちによる講演の主催、執筆、アートディーリングを行う。美術による知的好奇心の喚起、さらに人生とビジネスに与える好影響について日々探究している。
https://www.voiceofart.jp/


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